皆さんこんにちは、パルです!
今回は水野忠邦と天保の改革について解説していきます!
毎度恒例ですが、水野忠邦って何やったんだっけ?そもそも有名な人なの?って思っている方、多いのではないでしょうか笑
水野忠邦とペリー来航の時は、実は同じ将軍でした。
教科書を読んでいると、時代の移り変わりが分かりにくいので、ここでしっかり覚えましょう!
江戸第二弾の改革である、寛政の改革を復習したい方は、こちらをご覧ください!
水野忠邦の生い立ち
水野忠邦は1794年(寛政6年)に肥前国唐津藩主・水野忠光の長男として生まれました。
水野家は譜代大名であり、幕政にも近い家柄でした。
譜代大名って覚えていますか?
譜代大名は1600年関ヶ原の戦い以前から、徳川家に従っていた信頼のある家臣の事です。
忠邦は幼少期から政治的教養を身につけ、1812年には父の隠居により家督を継いで唐津藩主となります(唐津藩は現在の佐賀県にあった藩です)。
1839年に老中に任命されると、幕政の中枢を担うことになりました。
水野忠邦以前の幕府

〈画像:Wikimedia Commons〉
松平定信が失脚した後、第11代将軍・徳川家斉(上の写真)の治世が始まりました。
家斉は現在で言う、超絶浪費家です。
家斉はとんでもない経歴を持っていて、奥さんが40人・子供が55人います。
当然将軍の家族なので、幕府はこれだけの人数を養わなければいけません。
他にも様々な行事にお金を使っており、幕府の財政は大きく傾きました。
家斉は第12代将軍に徳川家慶(いえよし、下の写真)を据えて、本人は大御所として実権を握り続けました。

〈画像:Wikimedia Commons〉
家斉は歴代徳川将軍で最長の50年間、将軍として君臨し続けました。
また1833~1839年は全国的に天候不順が続き、天保の大飢饉が発生しました。
食糧不足と経済混乱が広がり、農村部は疲弊し、都市部では米価が高騰して、庶民生活は極度に苦しかったと言われていました。
天明の大飢饉にも負けない餓死者が出たと言われています。
1837年には大坂で大塩平八郎の乱が勃発しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉
大塩平八郎(下の写真)は元大坂町奉行所の与力でした。

〈画像:Wikimedia Commons〉
町奉行所は現在で言う警察署で、与力は警察署の中で割と上の役職だと思っておいて下さい。
天保の大飢饉の影響で困窮している農民を救うべく、大坂の火薬庫を襲撃し、大坂の町を焼き払い進軍しましたが、僅か半日で鎮圧されました。
民衆の不満が爆発したことや、幕府の元役人が反旗を翻した事は、幕府は大きな衝撃を与えました。
徳川家斉が1841年に死去すると、遂に水野忠邦に政治の主導権が回ってきました。
天保の改革・始動

〈画像:Wikimedia Commons〉
こうした状況を背景に、老中首座に就任した水野忠邦(上の写真)は、1841年から「天保の改革」に乗り出します。
天保の改革の「天保」は時の年号から来ています。
天保の改革で覚える事を以下にまとめます。
〈天保の改革の内容〉
①倹約令
②株仲間の解散
③薪水給与令
④人返しの法
⑤上知令
以下に解説していきます。
①倹約令
享保の改革と寛政の改革と同様の政策です。
幕府の財政再建のため、贅沢禁止令を発令し、庶民や大名に対して質素倹約を強制しました。
②株仲間の解散
これが今回一番覚えてほしい内容と言っても、過言ではありません。
株仲間覚えていますか?
株仲間は製品を売る独占権を持っていて、製品毎に設けられています。
製品を売る場合はお金を払って株仲間に入会し、商業活動を行っていました。
売る独占権があるという事は、自分たちで値段決められる事が何よりも特権です。
これに目を付けて、水野忠邦は株仲間が不当に値段を吊り上げ、物価を上昇させていると考え、株仲間の解散を命じました。
しかし結果的に物価は下降するどころか、上昇してしまいました。
なぜか?
株仲間はそれぞれ独自の流通網を発達させており、全国で適正な値段で売れるよう努めていました。
株仲間の解散によりこの流通網が破壊され、日本各地で品不足が発生し、物価が上昇しました。
水野忠邦は自由競争による価格の正常化を目指しましたが、株仲間の解散により経済の混乱が生じ、農民の困窮が加速しました。
③薪水給与令
これは中国とイギリスで起こったアヘン戦争が関係しています。
1825年、幕府は異国船打払令を出していました。
1800年代になると日本近海に外国船が頻繁に出没し、鎖国体制を不穏な空気が漂っていました。
幕府は日本近海に現れた外国船に対して、砲撃するというかなりのパワープレイを見せています。
しかしアジア最強と言われていた清(中国)が、イギリスに大敗しました。
長年日本は中国の政治のお手本としていましたが、そんな中国がボロ負けした事は日本にも世界にも動揺が走りました。
アヘン戦争の結果を見て、このまま異国船打払令を出していると、戦争になってしまうと考えた幕府は異国船打払令を撤回し、日本近海に現れた外国船に、薪(まき)や水を提供し、速やかに帰ってもらう方針を取りました。
④人返しの法
農村復興と江戸の人口削減政策です。
天保の大飢饉で農村部は壊滅的被害を受けており、生きていけない農民は江戸に出稼ぎに来ていた為、江戸の人口は増え続けていました。
新しく江戸に来ていた者に物資を支給し、早めに帰らせることで農村が荒廃していくのを食い止めようとしました。
⑤上知令(あげちれい)
水野忠邦失脚の原因にもなった、幕府権力の強化を目指した政策です。
江戸や大坂周辺の譜代・親藩大名の領地を幕府直轄地(天領)に組み入れるという政策で、幕府の支配力を拡大と権威の見せつけが目的でした。
しかし元々土地を持っていた大名は当然大反対しますし、他の老中や民衆からも猛反発を受けました。(直轄地にしようとしたところが、他の老中の領地だった。)
これを受け水野忠邦は上知令を撤回しましたが、水野忠邦への不満を収まらず、排斥運動へ発展しました。
水野忠邦は段々と孤立し、遂に老中を解任され、天保の改革は終わりを告げました。
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