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【文化史シリーズ#3】奈良時代 ― 天平文化のポイント解説!

皆さんこんにちは!

今回は文化史シリーズ第3弾、奈良時代の天平文化について解説します!

奈良時代は710年~794年までと短いので、他の時代と異なり天平文化しかありません。

仏教文化が大きく花開いた天平文化を詳しく見ていきます!

↓白鳳文化の復習をしたい方はこちらをご覧ください!!↓

天平文化とは?

時期・中心地・背景

飛鳥文化の最盛期は、8世紀です。

聖武天皇・光明皇后」の時代を中心に発展しました。

〈聖武天皇:Wikimedia Commons〉

〈光明皇后:Wikimedia Commons〉

奈良時代の都である「平城京」が中心地です。

律令国家が確立しましたが、疫病や飢饉で政治が混乱したのが、文化形成のキッカケです。

特色

  • 国家意識の高まりによる「国史」の編纂
  • 鎮護国家思想を担う、仏教の拡大
  • 唐の文化を受けた都の作成

文学・教育

「聖武天皇」は母親が藤原氏だったので、自分の血筋に劣等感を感じていました。

周りの皇位継承の候補者は、両親とも皇族出身だったので、どうしても比較してしまったのです。

劣等感を払拭する為に、自分の血筋が正統であると証明し始めました。

古事記・日本書紀

「古事記」と「日本書紀」の元になっている物が、「帝紀」と「旧辞」です。

「帝紀」=「大王の系譜を中心とする伝承」

「旧辞」=「神話・説話・伝承を纏めたもの」

上記の2つを「稗田阿礼(ひえだの あれ)」に暗唱させました。

古事記:712年

〈古事記:Wikimedia Commons〉

奈良時代を開始した「元明天皇」の治世に完成しました。

〈元明天皇:Wikimedia Commons〉

「太安万侶(おおの やすまろ)」が「稗田阿礼」の暗唱を元に、古事記を作成しました。

〈太安万侶:Wikimedia Commons〉

全三巻で構成されていて、神代から推古天皇までの歴史が記されています。

日本書紀:720年

〈日本書紀:Wikimedia Commons〉

「元正天皇」の治世に完成しました。

〈元正天皇:Wikimedia Commons〉

「舎人親王(とねりしんのう)」が「稗田阿礼」の暗唱を元に、日本書紀を作成しました。

〈舎人親王:Wikimedia Commons〉

漢文で書かれていて、「編年体」の形式を取っています。

六国史

「日本書紀」から始まる、国の命で作られた歴史書を「六国史」と言います。

編者も有名な人物が多いので、しっかり抑えましょう!

制作順名称内容の範囲編者(中心人物)成立年(完成年)
日本書紀
(にほんしょき)
神代 ~ 持統天皇
(697年)
舎人親王(とねりしんのう)720年
続日本紀
(しょくにほんぎ)
文武天皇 ~ 桓武天皇
(697~791年)
藤原継縄(ふじわらのつぐただ)797年
日本後紀
(にほんこうき)
桓武天皇 ~ 淳和天皇
(781~833年)
藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)840年
続日本後紀
(しょくにほんこうき)
仁明天皇
(833~850年)
藤原良房(ふじわらのよしふさ)869年
日本文徳天皇実録
(にほんもんとくてんのうじつろく)
文徳天皇
(850~858年)
藤原基経(ふじわらのもとつね)879年
日本三代実録
(にほんさんだいじつろく)
清和天皇 ~ 光孝天皇
(858~887年)
藤原時平(ふじわらのときひら)901年

この表を見ると、藤原氏が権力を握っていたのがよく分かりますね(笑)

「日本三代実録」以降は、国の命で正式な歴史書は制作されず、私撰(個人)で作成されました。

懐風藻:751年

「懐風藻(かいふうそう)」は現存する最古の漢詩集です。

〈懐風藻:Wikimedia Commons〉

編者は「淡海三船(おうみの みふね)・石上宅嗣(いそのかみの やかつぐ)」と言われています。

〈淡海三船:Wikimedia Commons〉

〈石上宅嗣:Wikimedia Commons〉

天智天皇の頃から奈良時代までの、計64人の漢詩120首を収めています。

万葉集

奈良時代後期までの約4500首を収めた歌集です。

〈万葉集:Wikimedia Commons〉

宮廷の歌人の歌だけでなく、東歌や防人歌など地方の農民歌も収められているのが特徴です。

万葉仮名を用いて書かれています。

南都六宗

「南都六宗(なんとろくしゅう)」=「平城京を中心に栄えた、仏教の6つの宗派の総称」です。

  • 三論宗(さんろんしゅう)
  • 成実宗(じょうじつしゅう)
  • 法相宗(ほっそうしゅう)
  • 倶舎宗(くしゃしゅう)
  • 華厳宗(けごんしゅう)
  • 律宗(りっしゅう)

「南都六宗」は「奈良仏教」とも言います。

しかし奈良時代当時から「南都六宗」と呼ばれていた訳ではありません。

「南都六宗」は平安京を中心に栄えた「平安二宗(天台宗・真言宗)」に対する呼び名です。

地理的にも奈良は京都の南に位置しているので、「南の都」という意味が込められています。

建築

東大寺

「聖武天皇」が建立しました。

〈東大寺:Wikimedia Commons〉

「聖武天皇」が即位すると、干ばつや疫病、地震が発生し、日本中が大混乱が発生しました。

悲しい事に悲しみの矛先が「聖武天皇」に向きます。

仏教の力で国家を安定させようと考え建立したのが、東大寺と大仏でした。

〈東大寺大仏:Wikimedia Commons〉

正倉院

東大寺のお隣にある建物です。

南・中・北の3倉に分かれ、南・北の2つの倉には「校倉造(あぜくらづくり)」が施されています。

〈正倉院:Wikimedia Commons〉

聖武天皇の遺品が中心で、北倉(右側)に多数収められています。

〈校倉造:Wikimedia Commons〉

正倉院の代表的な宝物

「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」=「鏡の背面を異なる材質で飾った宝飾鏡」です。

〈平螺鈿背八角鏡:Wikimedia Commons〉

鼈甲は東南アジア産、琥珀はミャンマーあるいは中国産、トルコ石はイラン産です。

正倉院宝物の華やかさと世界性を象徴しています。


「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」=「唐風の女性が描かれた六扇の屏風」です。

〈鳥毛立女屏風:Wikimedia Commons〉

「聖武天皇」遺愛の宝物として有名です。


「銀薫炉(ぎんくんろ)」=「純銀で作成された球形の香炉」です。

〈銀薫炉:Wikimedia Commons〉

球形の真ん中で上下に割れ、上が蓋、下が実とされています。

特徴はその大きさで直径18cmあり、国外を含めこれ程大きな球形香炉は例がありません。


「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」は正倉院の宝物で一番人気です。

〈螺鈿紫檀五絃琵琶:Wikimedia Commons〉

名前の由来は「「螺鈿で装飾され、槽が紫檀で作られた五絃の琵琶」です。

唯一現存する五絃琵琶です。


「白瑠璃碗」=「高屋築山古墳(安閑天皇陵とされている)から出土したガラスのお椀」です。

〈白瑠璃碗:Wikimedia Commons〉

「安閑天皇」は古墳時代の天皇なので、非常に昔から日本に存在したお椀という事になります。

〈安閑天皇:Wikimedia Commons〉


「紺瑠璃杯(こんるりのつき)」=「紺色のガラス器」です。

〈紺瑠璃杯:Wikimedia Commons〉

正倉院にはガラスの宝物が数万点保存されていますが、完全な状態で保管されているのは6点のみです。

「紺瑠璃杯」は「白瑠璃碗」と同じく希少なガラスの宝物として、6点の中に名を連ねているのです。

唐招提寺

〈唐招提寺:Wikimedia Commons〉

唐から来日した「鑑真」が建立しました。

〈鑑真:Wikimedia Commons〉

「鑑真」は日本に「戒律」を伝えました。

「戒律」=「お坊さんになる為のルールブック」です。

当時日本にはなんちゃってお坊さんが急増していました。

お坊さんになると税金が免除されるからです。

「聖武天皇」は本場の仏教のお坊さんを来日させ、なんちゃってお坊さんを防止させました。

法隆寺夢殿

法隆寺自体は飛鳥文化ですが、「夢殿」は奈良時代に増築されたものです。

〈法隆寺夢殿:Wikimedia Commons〉

飛鳥文化の「法隆寺夢殿久世観音像」が夢殿に安置されています。

仏教を本格的に広めた「聖徳太子」は当時崇められていました。

経緯を表して、法隆寺を増築したのです。

仏像

奈良時代の仏像の作り方は、大きく分けて2種類あります。

「塑像」と「乾漆像」です。

それぞれを解説していきます。

塑像

  1. 木を芯にして、気に縄を巻き付けます。
  2. 縄の上に荒土を付けて像の形にします。
  3. 仕上土で表面を整えたら、彩色をして完成。

塑像の方が乾漆像と比べて壊れやすいです。

乾漆像

木や粘土、支柱で大体の仏像の形を作ります。

その上に麻布を張り、漆で塗り固めます。

東大寺不空羂索観音立像〈乾漆像〉

「羂索(けんじゃく)」=「全ての者を救い、願いを叶えるロープ」を指します。

〈東大寺不空羂索観音立像:Wikimedia Commons〉

左が「月光菩薩像」、右が「日光菩薩像」です。

2つの像は「塑像」です。

興福寺阿修羅像〈乾漆像〉

釈迦の教えによって仏法の守護神となった阿修羅像を表現しています。

仏教を知らない人でも、何となく見たことがある人も多いと思います。

それほどに仏教の世界では有名なのです。

〈阿修羅像:Wikimedia Commons〉

東大寺戒壇堂四天王像〈塑像〉

「鑑真」が日本に来日し「戒律」を伝えました。

「戒律」を正しく伝える場所が「戒壇」です。

「戒壇」は選ばれた寺院にしか設置が許されないので、非常に権威ある建物なのです。

〈東大寺戒壇堂:東大寺HP〉

「四天王像」=「東西南北を守護する仏様」を指します。

「四天王」は元々古代インドの神々です。

仏教はインドで生まれたので、インドの神々の世界観を色濃く反映しています。

「四天王」を仏教の世界に取り入れる際、東西南北の守護神として起用されました。

それぞれの担当は以下の通りです。

  • 持国天:東
  • 増長天:南
  • 広目天:西
  • 多聞天:北

〈持国天:東大寺HP〉

〈増長天:東大寺HP〉

〈広目天:東大寺HP〉

〈多聞天:東大寺HP〉

絵画・工芸

薬師寺吉祥天像

分かりにくいですが、女性の仏像画です。

〈薬師寺吉祥天像:Wikimedia Commons〉

左手には何でも望み通りに財宝を取り出すことが出来る「如意宝珠」を持っています。

元々のモチーフはバラモン教の女神で、仏教に取り入れられ「吉祥天」と呼ばれるようになりました。

「吉祥天」=「降伏や豊穣を司る仏教の女神」を指します。

百万塔陀羅尼

「百万塔陀羅尼」=「百万基の木製小塔(「百万塔」)の中に納められた陀羅尼の総称」を指します。

何を言ってるか分からないと思うので、覚えてほしい箇所に絞って話します。

〈百万塔と陀羅尼:Wikimedia Commons〉

「百万塔」は、写真左のチェスの駒のようなものが100万個あるという事です。

「陀羅尼」は、仏教の言葉が書き記されています。

仏教の世界では、小塔を100万個作り陀羅尼を収めれば、鎮護国家の功徳があると考えられています。

「恵美押勝の乱」の以後、「称徳天皇」が国が安定する願いを込めて制作されました。

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