皆さんこんにちは、パルです!
今回は田沼意次について解説していきます。
江戸の3大改革に入っていないので、結局何やったの?って思う方も多いのではないでしょうか?
腐敗政治や賄賂のイメージが強い田沼意次ですが、一体何をしたのでしょうか?
時代の先を行き過ぎた田沼意次の政治を、写真と共に確認していきましょう!
大事な事柄は黄色、大事過ぎる事は赤で、登場人物は青でマーカーしてあるから、チェックしてね!!
田沼意次以前の江戸幕府を復習したい方は、こちらをご覧ください!
田沼意次の生い立ち

〈画像:Wikimedia Commons〉
田沼意次は1719年、紀州藩(上の写真)の下級武士の家に生まれました。
父の田沼意行(おきゆき)は、紀州藩で徳川吉宗に仕えていました。(ここから下は前回の復習なので要確認!)
江戸幕府では後継者問題が浮上し、紀州藩の財政再建の功績を認められた吉宗(上の写真)が、将軍に就任しました。
これに伴い、父の田沼意行も江戸幕府で吉宗の側近として、仕官する事になりました。
その後、今回の主役である息子の田沼意次(下の写真)も、将軍の側近として幕府に仕官することになります。

〈画像:Wikimedia Commons〉
若い頃から聡明で、幕府の財政問題や商業政策に関心を持っていました。
田沼意次、出世する
第八代将軍の徳川吉宗が亡くなり、第九代将軍となった徳川家重は病弱で、早々に亡くなってしまいました。
次は第10代将軍・徳川家治(いえはる)となり、田沼意次は側用人(そばようにん)として出世しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉
側用人とは「幕府の裏のトップ」と言われていて、将軍の側近として幕府に仕える役職です。
ちなみに表のトップは大老や老中です。(側用人は後から追加された役職なので、最初の組織図にはありません)

田沼意次は将軍の家治からの厚い信頼を得て、老中首座(老中のトップ)に昇進しました。
これは当時としては異常な事です。
基本的に側用人と老中を兼任することはありません。
理由は簡単で、権力が集中してしまうからです。(家治からの信頼が厚すぎたので、老中になってしまいましたが)
その為周りからは、多少なりとも恨まれていたようです。
家治の治世は田沼時代とも言われ、幕府の政治や経済政策は大きな転換を迎えました。
田沼意次の政策
それまでの幕府は、農業を重視する「重農主義」を取っていました。
田沼意次はこの方針を見直し、商業活動を活発化させて財政を立て直す「重商主義」の政策を推進しました。
以下に具体的な政策を挙げていきます。
- 株仲間の奨励と運上金・冥加金の徴収
- 蝦夷地の開発
- 印旛沼・手賀沼の開拓
1.株仲間の奨励と運上金・冥加金の徴収
これぞまさに田沼意次という政策です。
株仲間とは、特定の商人達に営業の独占権を与える制度で、運上金は幕府対して、営業税を納めさせる制度です。
冥加金は商人達が幕府へ、感謝の気持ちとして出すお金です。(半ば強制だったとも言われている)
運上金・冥加金により幕府の収入は増加しましたが、冥加金は賄賂=不正の温床でした。
純粋に感謝の気持ちなら良いのですが、商人が幕府の役人と繋がり、多めに冥加金を納める事で、幕府から有利な営業権を貰うなどの不正が横行しました。
ただ、商人の営業に課税するという、現在の法人税的な考え方は当時としては画期的であり、何年も先をいく考え方を持つ田沼意次の経済のセンスを感じます。
2.蝦夷地の開発
蝦夷地(現在の北海道)に注目し、ロシアとの交易を見据えた開拓政策も進めようとしました。
この当時からなのですが、ロシアが南下政策(領土を南に拡大する方針)を取り始めました。
この南下政策に対して蘭学者・工藤平助(くどう へいすけ)が著した、ロシア(赤蝦夷)に関する報告書・提言書を、赤蝦夷風説考(下の写真)と言います。

正式な提出年は1783年(天明3年)頃とされます。
赤蝦夷風説考を読んだ田沼意次は、北方の防備の重要性を感じて、最上徳内(下の写真)らを蝦夷地に派遣し、探検・測量をさせました。

〈画像:Wikimedia Commons〉
3.印旛沼(下の写真)・手賀沼の開拓

〈画像:Wikimedia Commons〉
これは農業の方の政策です。
当時の価値観としてお米=土地は命の次い大事なものなので、新田開発にも力を入れました。
現在の千葉県あたりの印旛沼を開発させ、農業や治水事業に力を入れることで、幕府の収入アップを狙いました。
天明の大飢饉と田沼意次の失脚
田沼政権に大きな打撃を与えたのは、1782〜1787年の天明の大飢饉(下の写真)です。

〈画像:Wikimedia Commons〉
この飢饉は天候不順や冷害によって引き起こされ、東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。
多くの農民が餓死し、百姓一揆も頻発し、人が人を食べる超悲惨な時期でした。
田沼政権はこの危機に十分な対応ができず、農民の不満は頂点に達します。
さらに、1784年には田沼の後継者として期待されていた嫡男・田沼意知(おきとも)が、江戸城内で佐野政言(まさこと)に刺殺される事件が発生します。
この事件は幕政への不満が爆発した象徴的な出来事とされ、意次の権威は大きく失墜しました。
そして1786年、将軍・徳川家治の死によって後ろ盾を失うと、翌1787年には失脚を余儀なくされました。
代わって登場したのが松平定信で、彼は田沼政権の政策を「腐敗の象徴」として否定し、質素倹約を掲げる「寛政の改革」を実行していくことになるのです。
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