皆さんこんにちは、パルです!
今回から遂に、長年日本史を引っ掻き回す後醍醐天皇が登場します!
元寇によって鎌倉幕府の権力に陰りが見え始め、各地で反幕府運動が活発化し始めました。
幕府に反旗を翻した中心人物が足利尊氏・新田義貞です。
幕府に敵対する者達の熱き戦いをご覧ください!
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後醍醐天皇の登場と討幕運動
〈1318年 3月29日 後醍醐天皇 即位〉
遂に日本を揺るがす天皇が、「大覚寺統」から即位します。
その男こそ、「後醍醐天皇」です。

〈画像:Wikimedia Commons〉
日本史をある程度知っている方だと、「後醍醐天皇」のヤバさは十分に理解していると思います。
しかし世間のイメージとは裏腹に、即位した当時は「民の為に自分の朝食を抜きにして分け与える」、「関所の通行料はタダにする」など、民の暮らしに寄り添うような政策を次々実行していたのです。
その為、権力を握っている鎌倉幕府の存在を邪魔だと考えるようになりました。
自らが政治の実権を握り全国を支配する事を望み、「天皇による政治」の復活を目指し、幕府を倒す為に行動に移します。
〈1324年 正中の変〉
後醍醐天皇最初の倒幕運動です。
後醍醐天皇には「日野資朝」、「日野俊基」という2人の優秀な部下がいました。

〈日野資朝:Wikimedia Commons〉
彼らは鎌倉幕府の政治は良くないと議論し、倒幕の決意を固めます。
「日野資朝」が中心となって、倒幕に力を貸してくれそうな人物を集めていました。
しかしこの動きが仲間の不注意により、幕府側に漏れてしまいます。
こうして「日野資朝」、「日野俊基」は捕まりましたが、後醍醐天皇は関与していないと幕府を説得しました。
結果、「日野資朝」は佐渡島に流罪、「日野俊基」は証拠不十分で赦免されました。

因みに近年の研究では、本当に「後醍醐天皇」は関与していなかったという意見もあるようです。
〈1331年 元弘の変〉:後醍醐天皇島流し
「元弘」は当時の年号です。
今回は後醍醐天皇が動きます。
「文観」というお坊さんを呼び、鎌倉幕府が滅亡するよう呪いをかけさせていました。

〈文観:Wikimedia Commons〉
現在の私達からすると、「そんな事して意味ある?」って思うところですが、当時の価値観からするとかなりの重罪でした。
この噂を嗅ぎ付けた幕府は「文観」を捕らえて拷問します。
「文観」は「後醍醐天皇の命令で呪いをかけた」、「正中の変の犯人は日野資朝と日野俊基」」と自白しました。
こうして事態を重く見た幕府は「日野資朝」、「日野俊基」を斬首刑としました。
後醍醐天皇は「笠置山」に逃走し、鎌倉幕府の軍勢を迎え撃つ準備をします。
しかし「笠置山の戦い」で敗北し「隠岐島」に流されました。
「隠岐島」は承久の乱で流された後鳥羽上皇と同じ島です。

↓承久の乱の復習はこちらをご覧ください!!↓
〈1333年 後醍醐天皇 隠岐島脱出〉
元弘の変で後醍醐天皇が島流しされた後も、各地で幕府に対する反乱が起きていました。
反幕府として常に戦い続けていたのが、百戦百勝の男「楠木正成」です。

〈画像:Wikimedia Commons〉
「楠木正成」は奇襲や不意打ち、奇想天外な戦術を得意としており、鎌倉幕府の大軍勢相手にも知力で勝ち続けました。
日本1戦い上手と言っても過言ではありません。
楠木正成を筆頭とする幕府への反乱は、隠岐島にいる後醍醐天皇の耳に届いていました。
島流しされてから2年後の1333年、「名和長年」に連れられて後醍醐天皇は隠岐島の脱出に成功します。

〈名和長年:Wikimedia Commons〉
鎌倉幕府の滅亡
〈1333年 足利尊氏 六波羅探題攻略〉
後醍醐天皇の軍勢が京都に攻めてきている情報を手に入れた幕府は、大軍勢を京都に差し向けます。
そのリーダーこそ、「足利尊氏」です。(ちなみにこの当時は「足利高氏」という名前です)

〈足利尊氏:Wikimedia Commons〉
しかし足利氏は元々「源氏」の流れを汲む出自ですが、北条氏は「平氏」の流れを汲む出自です。
ずっと北条氏の天下なのが気に食わない「足利尊氏」は、ここで幕府に反旗を翻します。
後醍醐天皇の軍勢と共に、京都の幕府の機関である「六波羅探題」を滅亡させます。
こうして後醍醐天皇は2年ぶりに京都に帰還し、新しい時代への準備に取り掛かるのです。
〈1333年 新田義貞 鎌倉攻略〉
京都で六波羅探題が攻略されている頃、足利尊氏の息子である「千寿王」を連れて、鎌倉を包囲し攻撃している人物がいました。
「新田義貞(にったよしさだ)」です。

〈新田義貞:Wikimedia Commons〉
「新田義貞」が海沿いから幕府の本拠地に侵入し戦火で鎌倉は燃え、次々に幕府軍は降伏します。
北条高時を中心とする鎌倉幕府の重臣達は「東勝寺」に逃れ、700人余りの人が集団自決を繰り広げます。

〈東勝寺跡:Wikimedia Commons〉
あれだけ権勢を誇った北条氏が集団自決とは、なんたる無常さでしょうか。
「源頼朝」以来続いてきた鎌倉幕府は滅亡し、武士による政権は一旦終わりを迎えました。
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