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今回の和歌
64番 権中納言定頼(ごんちゅうなごんあつただ) 『千載集』冬・419
朝ぼらけ 宇治(うぢ)の川霧(かはぎり) たえだえに
あらはれわたる 瀬々(せぜ)の網代木(あじろぎ)

〈画像:Wikimedia Commons〉
現代語訳
現代語訳
夜がほのぼのと明けるころ、宇治川に立ちこめた朝霧も薄らいできた。
朝霧の間から川の浅瀬に並ぶ網代木(あじろぎ)が、少しずつ姿を現していくのが見えてくるよ。
語句解説
【朝ぼらけ】
夜明けのほの暗い時間帯。
朝が明け始めるころの薄明かりを指す美しい言葉です。
【宇治の川霧】
宇治川は京都南部を流れる川。
「川霧」= 川面に立ちこめる霧のこと。
水の冷気と空気の温度差によって生まれる自然現象で、幻想的な風景をつくり出します。
【たえだえに】
「途切れ途切れに」、という意味。
霧が完全に晴れたのではなく、部分的に薄くなって見通せる状態を表現しています。
【あらはれわたる】
「あらはる(現る)」+「わたる(広がる、続く)」の複合語。
「だんだんと広がって見えてくる」、という意味です。
【瀬々の網代木(あじろぎ)】
「瀬々」 =「瀬」は川の浅い流れの速いところ、「瀬々」はその複数形。
川の中の浅いところを点々と指している表現です。
「網代(あじろ)」は、冬に氷魚(ひお、鮎の稚魚のこと)を取る仕掛けです。
川の浅瀬に杭を打ち、「簀(す)」という竹や木で編んだざるを仕掛けるもので、「網代木(あじろぎ)」は魚を捕る為に、川に立てる柵のような木の杭を指します。
作者: 権中納言定頼
藤原 定頼(ふじわらのさだより)〈995年 ~ 1045年〉
平安時代中期の貴族であり、本名は藤原定頼と言います。
四条大納言公任(百人一首55番に収載)の長男です。
↓四条大納言公任の和歌を解説しています、こちらもご覧ください!!↓
父は名筆家として知られる藤原行成、母は歌人・藤原義孝の娘という、文化的にも由緒ある家系に生まれ、藤原道長の側近としても重きをなした人物です。
官位としては「権中納言」にまで昇進し、朝廷内でも重要な役割を果たしていましたが、彼が後世に名を残している理由は、和歌の世界での活躍にあります。
定頼の歌は、自然の情景を繊細に捉えたものが多く、感情を押しつけずに風景の中に溶け込ませるような作風で知られています。
『後拾遺和歌集』をはじめとする勅撰集に数多くの歌が収録されており、当時から高い評価を得ていました。
また、彼の家系は後の和歌界にも大きな影響を与えています。
娘は歌人・藤原俊成の妻となり、その子が、百人一首の選者としても知られる藤原定家です。
つまり、藤原定頼は藤原定家の祖父にあたり、和歌の名門の源流を築いた人物と言えるでしょう。
政治・文化の両面において活躍した、まさに平安時代を象徴する教養人の一人です。
鑑賞:宇治川の朝霧、朝方の幻想的な光景🌫️
夜が明けはじめる「朝ぼらけ」の時間帯に、宇治川に立ちこめた霧が徐々に晴れていく様子を詠んだものです。
「たえだえに」という言葉が巧みに使われ、霧が一気に晴れるのではなく、ところどころ薄くなりながら、少しずつ風景が姿を現していく様子を丁寧に描いています。
特に印象的なのは、「瀬々の網代木(せぜのあじろぎ)」という視覚的な描写です。
網代木とは川辺で漁に使う木の仕掛けの事ですが、それが霧の合間にふと見えてくる情景には、静けさと共にどこか幻想的な趣が感じられます。
「霧が晴れて、見えなかったものが現れる」という構図は、しばしば心の迷いやぼんやりとした思いが徐々に明確になっていく心理的な変化を象徴することもあります。
自然描写の奥に、どこか人間的な側面が織り交ぜられているのです。
藤原定頼の感受性の鋭さと、自然の移ろいを捉える詩的なまなざしが見事に表れた一首です。
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