皆さんこんにちは!
今回は世界恐慌と金輸出解禁を解説していきます!
金融恐慌を何とか鎮静化した日本ですが、更なる試練が待っていました。
世界恐慌と金輸出解禁の関連性を知ると、この先の国民と軍部の行動を理解出来ます。
戦争に向かう前段階として、経済について理解しておきましょう!
↓金融恐慌についてはこちらをご覧ください!!↓
濱口雄幸 内閣
「張作霖爆殺事件」の事後対応を巡り、「田中義一」内閣が総辞職しました。
理由は「昭和天皇」の不信任です。
「立憲政友会」が退陣したので、憲政の常道により「立憲民政党」が政権を担当します。
「浜口雄幸(おさち)」が内閣を組織しました。

〈浜口雄幸:Wikimedia Commons〉
因みに本当は「浜口幸雄(ゆきお)」という名前になる予定でした。
しかし酔っぱらった父が子供の名前を役所に提出する際、間違って「幸雄」を逆に書いてしまったため、「雄幸」という名前になりました(笑)
〈1929年 10月24日 世界恐慌 勃発〉
アメリカのニューヨーク株式市場(ウォール街)の株価大暴落が発生しました。

〈ニューヨーク・ウォール街の群衆:Wikimedia Commons〉
詳しい理由は日本史から逸れるので扱いませんが、簡単に言うと、
作りすぎ・貸しすぎ・買いすぎを「借金」で回していた経済が、限界を超えて崩壊した
というのが理由です。
見かけよりも株価が上がり過ぎていて、一部の投資家が株を「売り」に出したのです(利益を確定させた)。
「売り」が連鎖的に発生し、株価が急激に下がってしまったのです。
株価が下がるという事は株主にとっては死活問題です。
例えば100万円分の株を持ってたとして、大暴落により株価が半分になれば、50万円の価値しかなくなります。
つまり財産が半分減ったのと同じです。
株価が暴落した日に、自殺した投資家も大勢います。
銀行も被害を受けています。
企業にお金を貸しまくっていたので、企業が倒産すると債権を回収できません。
日本で発生した金融恐慌のように、銀行も次々と倒産しました。
街には失業者が溢れ返り、アメリカは一気に不況に突入しました。
〈1930年 1月11日 金輸出解禁〉:金本位制へ移行
世界が恐慌に包まれる中、日本では金本位制への移行が検討されていました。
理由は何でしょうか?
日本の経済状況を理解する上で、非常に重要なので確認していきます。
理由
金融恐慌を脱却する為に、政府は大量に紙幣を発行しました。
「取り付け騒ぎ」を強制的に終息させる為でしたね。
しかし「紙幣を大量に発行した」=「紙幣の価値が動く(下がる)」という事です。
これは外国からしたら非常にネックです。
日本と貿易をする時に、例えばクレジットカードで支払ってとして
日本が外国製品を買ったときは「1ドル=200円」だったのに、金額が振り込まれる時は「1ドル=100円」に変動してたから、外国が受け取る入金額が予定より少ない
なんて事が発生します。
要するに、
日本円の価値が変動するから、貿易がしづらい
って事です。
考え方によっては紙幣の発行を調整する事により、自国に有利な状況を作り出せてしまう訳です。
その為、海外からはずっと金本位制への移行を要望されていました。
「浜口雄幸」は立憲民政党なので、外交と足並みを合わせる「協調外交」です。
大蔵大臣の「井上準之助」は「浜口雄幸」からの指令を受け、金輸出解禁に踏み切りました。

〈井上準之助:Wikimedia Commons〉
しかし「金本位制に移行する」=「インフレ状態からデフレ状態に転換する」という事です。
国内は不況になる事は分かり切っています。
ただ物価が下がるので、日本製の製品の価格も下がり、海外に売れるようになると計算していたのです。
しかし残念ながら、想定外の事態が発生します。
〈1930年 〜 1931年 昭和恐慌 発生〉
アメリカで発生した世界恐慌が、日本にも波及してきました。
日本とアメリカは経済で密接に関わっているので、アメリカで不況になると日本も巻き添えになります。
アメリカでは雇用を守る為、「ニューディール政策」を展開し、自国ファーストの政策を実施します。
イギリスやフランスは、自国と植民地間だけで貿易を行う「ブロック経済」を展開しています。
つまり貿易制限しているので、日本の製品は全然売れません。
しかも国内は「金輸出解禁」の影響で、デフレにより物の価値が下がっています。
米価も勿論下落して、収入が激減している農村部は壊滅的被害を受けました。
金輸出解禁するタイミングを、完全にミスっているのです。
〈1930年 1月21日 〜 4月22日 ロンドン海軍軍縮会議〉
全権は「若槻礼次郎」です。

〈会議の初日に演説する若槻礼次郎:Wikimedia Commons〉
憲政会時代に総理大臣を務めていた人物ですね。
会議の主な議題は
海軍の「補助艦」保有量の制限
です。
ワシントン海軍軍縮条約の議題は、「主戦艦」の保有制限でした。
↓ワシントン会議の内容はこちらで確認できます!!↓
ワシントン海軍軍縮条約で「主戦艦」の保有制限はされましたが、「補助艦」の保有制限は定められていません。
条約の穴を付いて、各国は「補助艦」の建造に躍起になっていました。
しかしそれだと意味が無いので制限をする会議を開いたのです。
〈1930年 4月22日 ロンドン海軍軍縮条約 締結〉
ワシントン会議と違って、保有制限の比率を覚える必要はありません。
日本の保有量がアメリカの6割程度に抑えられたと知っていれば十分だと思います。

〈海軍軍縮条約に調印する若槻礼次郎:Wikimedia Commons〉
立憲民政党は「協調外交」を推し進める政党なので、各国の雰囲気に合わせて「軍縮」を行うのは当然の方針です。
しかし調印して日本に帰ると、問題が発生します。
〈1930年 4月下旬 統帥権干犯問題〉
帝国議会衆議院本会議にて、「統帥権干犯問題」が取り上げられました。
「統帥権」=「天皇が軍隊の全権限を保有する権利」
「干犯」=「権利を犯す事」
をそれぞれ指します。
要は天皇の権利を侵食してると、文句を付けてきたのです。
野党の政友会総裁「犬養毅」や枢密院が、「ロンドン海軍軍縮条約」は、軍令部が要求していた補助艦の対米比7割に満たないと発言しました。

〈犬養毅:Wikimedia Commons〉
補足すると、「犬養毅」の発言は統帥権の拡大解釈であり、実際は条約に全く問題はありません。
条約の締結は、内閣に一任されているからです。
しかし海軍の反発や弱腰外交への非難、昭和恐慌への対策が無いなど様々な不満が噴出し、「統帥権干犯問題」は過熱しました。
〈1930年 11月14日 濱口首相狙撃事件〉
「濱口雄幸」内閣の政策は激しく非難され、遂に事件が起こります。
東京駅で神戸に向かう列車に乗る前、銃撃されてしまいました。

〈東京駅ホームで銃撃され運ばれる濱口:Wikimedia Commons〉
完全に「原敬」の二の舞ですね。
その場で亡くなった訳ではなく、病院で一命をとりとめました。
しかし病状が完治することは無く、内閣は総辞職しました。
「浜口雄幸」は1931年8月26日に、狙撃の傷が悪化し亡くなりました。
〈1931年 3月 三月事件〉
陸軍のクーデター未遂事件です。
クーデターの内容は
「宇垣一成」陸軍中将を総理大臣として、内閣を組織する
です。

〈宇垣一成:Wikimedia Commons〉
しかし陸軍内部に計画を共有しており、慎重派に計画を漏らされた事で一斉検挙されました。
「宇垣一成」自身も計画に反対していたので、かなり思いつき感のあるクーデター計画でした。
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