皆さんこんにちは!
今回は関東大震災の発生と第二次護憲運動について解説します!
歴代最大の地震が東京を襲い、一時無秩序と化しました。
多くの人が路頭に迷い、政治も大混乱に陥ります。
そんなピンチの時に立ち上がったのが、護憲三派でした。
第二次護憲運動から始まる憲政の常道を、詳しく見ていきます!
↓前回までの流れはこちらで確認できます!!↓
第2次 山本権兵衛 内閣
前任の「加藤友三郎」が病死した為、総辞職となりました。
新しく内閣を組織するのは、「山本権兵衛」です。

〈山本権兵衛:Wikimedia Commons〉
〈1923年 9月1日 11時58分 関東大震災 発生〉
明治以降の日本の地震被害としては、最大規模の被害を誇ります。
死者・行方不明者は推定10万5,000人と言われています。
地震の被害の特徴は、焼死が多かった事です。
当時は木造住宅が多く火災が発生すると、全焼は当たり前でした。
地震発生時には日本海沿岸を北上する台風が存在し、強風が関東地方に吹き込み延焼しました。

〈関東大震災による惨状(横浜市中区):Wikimedia Commons〉
東京は大混乱に陥りました。
政府は「戒厳令」を発令し、警察や軍隊が混乱を鎮めました。
しかし、混乱している市民が暴動を起こします。
〈1923年 9月1日〜 朝鮮人殺害事件〉
「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「朝鮮人や社会主義者が暴動を起こした」、「朝鮮人が放火した」などのデマを信じた自警団などが、多数の朝鮮人を殺傷した事件です。
殺傷事件の犠牲者数は不明ですが、被害者は数百人と見積もられています。

〈東京の麻布で結成された自警団:Wikimedia Commons〉
竹槍などで武装し、朝鮮人を襲おうとしているのが分かります。
人間はパニックに陥ると、物事の是非が分からなってしまうのです。
この事件は現在も朝鮮との関係を悪化させる要因になっています。
〈1923年 9月3日 亀戸事件〉
関東大震災による治安悪化が原因です。
以前から労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に、社会主義者が捕らえられました。
「川合義虎」を筆頭とする10名が虐殺されてしまいました。
下の写真は、10人中9名の写真です。


〈亀戸事件の被害者:Wikimedia Commons〉
戒厳令が出されているので警察の権限が強く、不法な弾圧が黙認されてしまっているのです。
〈1923年 9月16日 甘粕事件〉
こちらも関東大震災による治安悪化が原因です。
無政府主義思想家の「大杉栄」が憲兵に連行されました。
「憲兵」=「軍人を取り締まる警察」を指します。
憲兵の「甘粕正彦」らによって殺害され、遺体が井戸に遺棄された事件です。

〈甘粕正彦:Wikimedia Commons〉
「亀戸事件」と同様に、戒厳令が出されているので軍隊の権限が強いのが原因です。
「甘粕正彦」には懲役10年が言い渡されました。
極限の状態でも、人を殺害される事は絶対に許されてはいけません。
〈1923年 12月27日 虎ノ門事件〉
皇太子の「宮裕仁親王(後の昭和天皇)」が、虎ノ門で狙撃を受けた暗殺未遂事件です。

〈宮裕仁親王(18歳):Wikimedia Commons〉
第48通常議会の開院式に出席するため、貴族院に向かっている最中の出来事でした。
犯人は無政府主義者の「難波大助」です。

〈難波大助:Wikimedia Commons〉
「亀戸事件」などの社会主義弾圧に対する不満が、事件に繋がりました。
しかし怒りの矛先が皇太子に向けられたかは、不明のままです。
清浦奎吾 内閣
「虎の門事件」を受けて「山本権兵衛」内閣は総辞職しました。
混乱する情勢を鎮静化する為に、貴族院の勢力が「清浦奎吾」を推薦しました。

〈清浦奎吾:Wikimedia Commons〉
日本最後の超然内閣です。
〈1924年 1月 護憲三派 第二次護憲運動展開〉
超然内閣の成立に、国民は時代遅れだとブチぎれます。
最後に超然内閣が成立してから、6年が経っています。
「護憲三派」=「憲政会・立憲政友会・革新倶楽部」を指します。
それぞれのリーダーを紹介します。
憲政会:加藤高明

〈加藤高明:Wikimedia Commons〉
立憲政友会:高橋是清

〈高橋是清:Wikimedia Commons〉
革新倶楽部:犬養毅

〈犬養毅:Wikimedia Commons〉
スローガンは
「普通断行・貴族院改革・行政整理」
です。
「普通断行」は「普通選挙」を指します。
「直接国税3円以上」の規制が掛かっているので、撤廃しろと掲げています。
「貴族院改革」=「清浦圭吾のような超前内閣の成立を食い止める狙い」があります。
「行政整理」=「未だ震災で混乱の渦中にある日本を立て直そう」という意気込みです。
〈1924年 1月 政友本党 結成〉:立憲政友会の分裂
「清浦圭吾」は「政友本党」を結成し、護憲三派に対抗します。
「政友本党」は「立憲政友会」の一部が分裂し、結成されました。
満を持して、第15回衆議院議員総選挙が行われました。
「政友本党」は大敗し「清浦圭吾」内閣は総辞職に追い込まれます。
護憲三派で最大票を獲得した憲政会による、「加藤高明」内閣が成立しました。
第1次 加藤高明 内閣:憲政の常道 開始
1924年~1932年までの衆議院の多数党が組閣する体制を、「憲政の常道」と言います。
「憲政会」 =「協調外交」
「立憲政友会」=「積極外交」
と覚えておいてください!
〈1925年 4月22日 治安維持法 制定〉
社会主義者・共産主義者を問答無用で取り締まれる法律です。
キーワードは「国体の変革と私有財産制度」です。
スローガンに掲げていた普通選挙の実現に向けて、「加藤高明」は動いています。
しかし選挙権拡大に伴い、社会主義・共産主義の拡大が懸念されます。
国家体制が崩されるのを恐れ、予め法律を制定しておいたのです。
〈1925年 5月5日 普通選挙法 制定〉
今回で一番大事な内容です。
納税額の規制が撤廃され、25歳以上の男子が有権者になりました。
日本人の人口の5.5%だった有権者が、20.8%にまで増加しました。
海外と比べるとかなり遅れてはいますが、非常に大きな進歩です。
選挙権の変遷を確認しておきましょう!
| 年号 | 首相 | 納税条件(直接国税) | 選挙権の条件(年齢・性別) |
|---|---|---|---|
| 1889年(明治22) | 黒田清隆内閣 | 年15円以上 | 満25歳以上の男子 |
| 1900年(明治33) | 山県有朋内閣 | 年10円以上 | 満25歳以上の男子 |
| 1919年(大正8) | 原敬内閣 | 年3円以上 | 満25歳以上の男子 |
| 1925年(大正14) | 加藤高明内閣 | 納税条件撤廃(=普通選挙法制定) | 満25歳以上の男子 |
| 1945年(昭和20) | 幣原喜重郎内閣 | 納税条件なし | 満20歳以上の男女(女性参政権実現) |
〈1925年 5月10日 革新倶楽部 解党〉:立憲政友会に吸収
革新倶楽部は護憲三派として、与党になれました。
しかし護憲三派の得票数は
「憲政会・立憲政友会・革新倶楽部」=「3:2:1」
でした。
つまり得票率が一番低く、弱い立場にあったのです。
党内からは不満の声が挙がり、立憲政友会に吸収される事で、憲政会に対抗出来る力になろうと考えたのです。
第2次 加藤高明 内閣
〈1925年 8月 加藤高明 再組閣〉
第1次「加藤高明」内閣では、重要なポストを憲政会が全て牛耳っていました。
最大票を獲得したので当然と言えば当然なのですが、他の2党からは不満の声が出ます。
「高橋是清」が「加藤高明」に重要ポストを分配してくれとお願いしましたが、拒否されました。
護憲三派の連携は瓦解し、憲政会の単独内閣が組織されました。
憲政会の単独内閣がスタートしましたが、翌年の1月に「加藤高明」が病死してしまいます。
内閣は総辞職し、憲政会の後継は「若槻礼次郎」に託されました。

〈若槻礼次郎:Wikimedia Commons〉
〈1926年 12月25日 大正天皇 崩御〉
日本が混迷の時代を彷徨う中、「大正天皇」が崩御されました。

〈大正天皇:Wikimedia Commons〉
「大正天皇」は国民に気さくに話しかける人柄でした。
現在の天皇も、国民に笑顔で接してくださるイメージがあると思います。
優しく見守って下さる天皇のイメージを作ったのは、「大正天皇」だったのです。
今までの天皇は寡黙で威厳が重視されていたのですが、「大正天皇」にはあまり合わなかったらしく、自ら進んで人と関わるタイプでした。
晩年は多忙で体調を崩し療養に入りましたが、病気が治癒せず47歳の若さでこの世を去りました。
こうして日本は激動の昭和時代に突入します。
受験生の方へ
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文章が虫食い形式になっており、虫食いの[]の中に星1〜3が書かれていて、一目で単語の重要度分かります。
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