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【大陸への進出!】伊藤博文の死と韓国併合!

皆さんこんにちは!

今回は韓国併合について解説していきます!

古来から朝鮮半島の征服を目指してきた日本が、遂に実現にこぎつけます。

多くの犠牲と引き換えに韓国を手に入れた事を、決して忘れてはいけません。

韓国併合までの流れを詳しく見ていきます!

↓前回までの流れは、こちらをご覧ください!!↓

韓国併合への道

「大韓帝国」を植民地化するキッカケは「日露戦争」です。

「大韓民国」ではなく「大韓帝国」です!!

ロシアの南下政策に対して、日本は危機感を募らせていました。

ロシアが中国大陸に進出する前に、日本は韓国を足掛かりにして進出を目論んでいたのです。

〈1895年 7月 下関条約 締結〉

「日清戦争」の講和条約ですね。

覚えてほしい内容は

朝鮮の独立を清に認めさせる(朝鮮は清の属国ではない)

です。

この当時はまだ「朝鮮」という国名です!!

日本が朝鮮に何をしても口出しさせないようにしました。

〈下関条約:Wikimedia Commons〉

朝鮮は古来から、中国の属国としての立場を維持してきました。

日本が朝鮮を植民地化しようとすれば、当然清から反発を受けます。

下関条約によって属国の関係を解消させ、清が口出し出来ないように画策したのです。

↓下関条約の内容全てを確認したい方は、こちらをご覧ください!!↓

〈1904年 2月 日韓議定書 締結〉

日露戦争での戦いの重要な場所は、三国干渉でロシアに取られた「遼東半島(旅順・大連)」です。

〈遼東半島:Wikimedia Commons〉

陸での戦いを優勢にする為には、兵士への物資の供給が不可欠です。

日本は韓国と「日韓議定書」を締結し、軍事上必要な拠点を使う許可をさせました。

日露戦争に向けて日本軍を自由に通行可能にしたのですね。

日韓議定書から段々と韓国に対する干渉が始まります。

〈1904年 8月22日 第一次日韓協約 締結〉

韓国植民地化の第一歩です。

日本政府の推薦者を、韓国政府は財政・外交の顧問に1人ずつ任命しなければいけなくなりました。

顧問の命令に従う必要があるので、事実上財政・外交権を掌握しました。

〈1905年 7月29日 桂・タフト協定(桂・タフト覚書) 締結〉

日本とアメリカの間で結んだ協定です。

「桂」=「桂太郎」

「タフト」=「ウィリアム・タフト」

をそれぞれ指しています。

〈桂太郎:Wikimedia Commons〉

〈ウィリアム・タフト:Wikimedia Commons〉

内容は

アメリカの「フィリピン」と日本の「大韓帝国」の相互承認

です。

当時アメリカは南北戦争の影響で中国大陸進出に出遅れており、フィリピンを植民地をするので手一杯でした。

日本もまだ力が無いので、各国に気を遣いながら植民地化を進めなければいけません。

両国の思惑が合致し、勢力範囲を確認する為に協定を結びました。

〈1905年 8月12日 第二次日英同盟協約 締結〉

経緯

皆さんに馴染みのある「日英同盟」は、「第一次日英同盟協約」を指しています。

日露戦争開戦直前に結んだので、有名ですよね。

↓第一次日英同盟協約を解説しています、こちらもご覧ください!!↓

「第一次日英同盟協約」の期限は5年間と決められていました。

しかし日露戦争で日本が勝利目前になると、イギリス国内では同盟の更新を希望する世論が強くなりました。

結果

イギリスの要求である「同盟国は中立を守る」の対象地域を、中国・朝鮮からインドまでに拡張しました。

その代わり、イギリスに韓国の保護国化を認めさせました。

清・ロシア・アメリカに続き、イギリスにも韓国の植民地化の許可を取ったのです。

〈1905年 9月 ポーツマス条約 締結〉

韓国関連で覚えるべき内容は

韓国に対する日本の指導権を認めさせる

です。

「韓国の植民地化に口出ししないでね」という約束です。

〈ポーツマス条約:Wikimedia Commons〉

日本は三国干渉でロシアに屈辱を味わっています。

ロシアの南下政策を防ぐ為にも、韓国に口を出させないようにするのは、日本の最優先事項です。

〈1905年 11月17日 第二次日韓協約(乙巳保護条約) 締結〉

内容は

大韓帝国の外交権を完全に掌握

です。

〈第二次日韓協約:Wikimedia Commons〉

第二次日韓協約により大韓帝国の国交を、日本が決められるようになりました。

〈1905年 11月23日 韓国統監府 設置〉

第二次日韓協約を受けて、大韓帝国の「漢城」に「韓国統監府」を設置しました。

韓国に対する命令は、「韓国統監府」から出されます。

〈韓国統監府庁舎:Wikimedia Commons〉

「韓国統監府」の初代総督は「伊藤博文」です。

〈伊藤博文:Wikimedia Commons〉

〈1907年 7月 ハーグ密使事件〉

大韓帝国の皇帝「高宗」が、第2回万国平和会議に3人の密使を送った事件です。

〈高宗:Wikimedia Commons〉

〈3人の密使:Wikimedia Commons〉

開催場所はオランダのハーグです。

〈ハーグ:Wikimedia Commons〉

第二次日韓協約によって日本に奪われた外交権の回復を、欧米列強に訴えました。

しかし日本が今まで各国と約束を交わしていたので、参加国全てから拒絶され相手にされませんでした。

〈1907年 7月24日 第三次日韓協約 締結〉

「ハーグ密使事件」の報復として、「高宗」を退位させました。

「内政権」も強制的に奪い取り、ほぼ日本領となりました。

〈1907年 7月30日 第一次日露協約 締結〉

日本の南満洲、ロシアの北満洲での利益範囲を確定しました。

もう1つ大事な内容は

ロシアの「外蒙古」、日本の「大韓帝国」での特殊権益

を互いに認めました。

日露戦争で冷え切っていた両国ですが、ここで歩み寄りの姿勢が見られました。

〈1909年 10月26日 伊藤博文暗殺事件〉

経緯

第三次日韓協約により、韓国はほぼほぼ日本領になりました。

日本の侵略に対し、韓国では「義兵運動」が活発化しました。

「義兵運動」=「民衆の武装反乱」を指します。

日本は武力を持って抑え込んでいましたが、恐れていた事態が発生します。

結果

ロシアとの会談の為に、中国のハルビンを訪れていた「伊藤博文」が銃撃されました。

〈事件現場のハルビン駅(2019年):Wikimedia Commons〉

犯人は義兵運動者の1人である「安重根」です。

〈安重根:Wikimedia Commons〉

「安重根」は韓国を苦難から救おうとした英雄として、今も崇められています。

〈1910年 8月22日 日韓併合条約 締結〉

ハルビン事件の報復として、遂に韓国併合に踏み切りました。

〈日韓併合条約:Wikimedia Commons〉

調印者は、日本側が「寺内正毅」、韓国側は「李完用」です。

〈寺内正毅:Wikimedia Commons〉

〈李完用:Wikimedia Commons〉

当時の日本は、第二次桂太郎内閣の時です。

韓国併合条約をもって、大韓帝国は滅亡しました。

〈1910年 8月29日 朝鮮総督府 設置〉

韓国併合で大韓帝国が滅亡した事を受け、「韓国統監府」を「朝鮮総督府」に名称変更しました。

〈朝鮮総督府庁舎:Wikimedia Commons〉

正式に日本領となったので、韓国統監府の事業を引き継ぎつつ、土地調査など新たな事業も管轄しました。

初代総督は「寺内正毅」です。

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