皆さんこんにちは!
今回は韓国併合について解説していきます!
古来から朝鮮半島の征服を目指してきた日本が、遂に実現にこぎつけます。
多くの犠牲と引き換えに韓国を手に入れた事を、決して忘れてはいけません。
韓国併合までの流れを詳しく見ていきます!
↓前回までの流れは、こちらをご覧ください!!↓
- 韓国併合への道
- 〈1895年 7月 下関条約 締結〉
- 〈1904年 2月 日韓議定書 締結〉
- 〈1904年 8月22日 第一次日韓協約 締結〉
- 〈1905年 7月29日 桂・タフト協定(桂・タフト覚書) 締結〉
- 〈1905年 8月12日 第二次日英同盟協約 締結〉
- 〈1905年 9月 ポーツマス条約 締結〉
- 〈1905年 11月17日 第二次日韓協約(乙巳保護条約) 締結〉
- 〈1905年 11月23日 韓国統監府 設置〉
- 〈1907年 7月 ハーグ密使事件〉
- 〈1907年 7月24日 第三次日韓協約 締結〉
- 〈1907年 7月30日 第一次日露協約 締結〉
- 〈1909年 10月26日 伊藤博文暗殺事件〉
- 〈1910年 8月22日 日韓併合条約 締結〉
- 〈1910年 8月29日 朝鮮総督府 設置〉
- 受験生の方へ
韓国併合への道
「大韓帝国」を植民地化するキッカケは「日露戦争」です。
「大韓民国」ではなく「大韓帝国」です!!
ロシアの南下政策に対して、日本は危機感を募らせていました。
ロシアが中国大陸に進出する前に、日本は韓国を足掛かりにして進出を目論んでいたのです。
〈1895年 7月 下関条約 締結〉
「日清戦争」の講和条約ですね。
覚えてほしい内容は
朝鮮の独立を清に認めさせる(朝鮮は清の属国ではない)
です。
この当時はまだ「朝鮮」という国名です!!
日本が朝鮮に何をしても口出しさせないようにしました。

〈下関条約:Wikimedia Commons〉
朝鮮は古来から、中国の属国としての立場を維持してきました。
日本が朝鮮を植民地化しようとすれば、当然清から反発を受けます。
下関条約によって属国の関係を解消させ、清が口出し出来ないように画策したのです。
↓下関条約の内容全てを確認したい方は、こちらをご覧ください!!↓
〈1904年 2月 日韓議定書 締結〉
日露戦争での戦いの重要な場所は、三国干渉でロシアに取られた「遼東半島(旅順・大連)」です。

〈遼東半島:Wikimedia Commons〉
陸での戦いを優勢にする為には、兵士への物資の供給が不可欠です。
日本は韓国と「日韓議定書」を締結し、軍事上必要な拠点を使う許可をさせました。
日露戦争に向けて日本軍を自由に通行可能にしたのですね。
日韓議定書から段々と韓国に対する干渉が始まります。
〈1904年 8月22日 第一次日韓協約 締結〉
韓国植民地化の第一歩です。
日本政府の推薦者を、韓国政府は財政・外交の顧問に1人ずつ任命しなければいけなくなりました。
顧問の命令に従う必要があるので、事実上財政・外交権を掌握しました。
〈1905年 7月29日 桂・タフト協定(桂・タフト覚書) 締結〉
日本とアメリカの間で結んだ協定です。
「桂」=「桂太郎」
「タフト」=「ウィリアム・タフト」
をそれぞれ指しています。

〈桂太郎:Wikimedia Commons〉

〈ウィリアム・タフト:Wikimedia Commons〉
内容は
アメリカの「フィリピン」と日本の「大韓帝国」の相互承認
です。
当時アメリカは南北戦争の影響で中国大陸進出に出遅れており、フィリピンを植民地をするので手一杯でした。
日本もまだ力が無いので、各国に気を遣いながら植民地化を進めなければいけません。
両国の思惑が合致し、勢力範囲を確認する為に協定を結びました。
〈1905年 8月12日 第二次日英同盟協約 締結〉
経緯
皆さんに馴染みのある「日英同盟」は、「第一次日英同盟協約」を指しています。
日露戦争開戦直前に結んだので、有名ですよね。
↓第一次日英同盟協約を解説しています、こちらもご覧ください!!↓
「第一次日英同盟協約」の期限は5年間と決められていました。
しかし日露戦争で日本が勝利目前になると、イギリス国内では同盟の更新を希望する世論が強くなりました。
結果
イギリスの要求である「同盟国は中立を守る」の対象地域を、中国・朝鮮からインドまでに拡張しました。
その代わり、イギリスに韓国の保護国化を認めさせました。
清・ロシア・アメリカに続き、イギリスにも韓国の植民地化の許可を取ったのです。
〈1905年 9月 ポーツマス条約 締結〉
韓国関連で覚えるべき内容は
韓国に対する日本の指導権を認めさせる
です。
「韓国の植民地化に口出ししないでね」という約束です。

〈ポーツマス条約:Wikimedia Commons〉
日本は三国干渉でロシアに屈辱を味わっています。
ロシアの南下政策を防ぐ為にも、韓国に口を出させないようにするのは、日本の最優先事項です。
〈1905年 11月17日 第二次日韓協約(乙巳保護条約) 締結〉
内容は
大韓帝国の外交権を完全に掌握
です。

〈第二次日韓協約:Wikimedia Commons〉
第二次日韓協約により大韓帝国の国交を、日本が決められるようになりました。
〈1905年 11月23日 韓国統監府 設置〉
第二次日韓協約を受けて、大韓帝国の「漢城」に「韓国統監府」を設置しました。
韓国に対する命令は、「韓国統監府」から出されます。

〈韓国統監府庁舎:Wikimedia Commons〉
「韓国統監府」の初代総督は「伊藤博文」です。

〈伊藤博文:Wikimedia Commons〉
〈1907年 7月 ハーグ密使事件〉
大韓帝国の皇帝「高宗」が、第2回万国平和会議に3人の密使を送った事件です。

〈高宗:Wikimedia Commons〉

〈3人の密使:Wikimedia Commons〉
開催場所はオランダのハーグです。

〈ハーグ:Wikimedia Commons〉
第二次日韓協約によって日本に奪われた外交権の回復を、欧米列強に訴えました。
しかし日本が今まで各国と約束を交わしていたので、参加国全てから拒絶され相手にされませんでした。
〈1907年 7月24日 第三次日韓協約 締結〉
「ハーグ密使事件」の報復として、「高宗」を退位させました。
「内政権」も強制的に奪い取り、ほぼ日本領となりました。
〈1907年 7月30日 第一次日露協約 締結〉
日本の南満洲、ロシアの北満洲での利益範囲を確定しました。
もう1つ大事な内容は
ロシアの「外蒙古」、日本の「大韓帝国」での特殊権益
を互いに認めました。
日露戦争で冷え切っていた両国ですが、ここで歩み寄りの姿勢が見られました。
〈1909年 10月26日 伊藤博文暗殺事件〉
経緯
第三次日韓協約により、韓国はほぼほぼ日本領になりました。
日本の侵略に対し、韓国では「義兵運動」が活発化しました。
「義兵運動」=「民衆の武装反乱」を指します。
日本は武力を持って抑え込んでいましたが、恐れていた事態が発生します。
結果
ロシアとの会談の為に、中国のハルビンを訪れていた「伊藤博文」が銃撃されました。

〈事件現場のハルビン駅(2019年):Wikimedia Commons〉
犯人は義兵運動者の1人である「安重根」です。

〈安重根:Wikimedia Commons〉
「安重根」は韓国を苦難から救おうとした英雄として、今も崇められています。
〈1910年 8月22日 日韓併合条約 締結〉
ハルビン事件の報復として、遂に韓国併合に踏み切りました。

〈日韓併合条約:Wikimedia Commons〉
調印者は、日本側が「寺内正毅」、韓国側は「李完用」です。

〈寺内正毅:Wikimedia Commons〉

〈李完用:Wikimedia Commons〉
当時の日本は、第二次桂太郎内閣の時です。
韓国併合条約をもって、大韓帝国は滅亡しました。
〈1910年 8月29日 朝鮮総督府 設置〉
韓国併合で大韓帝国が滅亡した事を受け、「韓国統監府」を「朝鮮総督府」に名称変更しました。

〈朝鮮総督府庁舎:Wikimedia Commons〉
正式に日本領となったので、韓国統監府の事業を引き継ぎつつ、土地調査など新たな事業も管轄しました。
初代総督は「寺内正毅」です。
受験生の方へ
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