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【世界征服の始まり】朝鮮出兵はいつ行われ、なぜ行われたのか?

皆さんこんにちは、パルです!

今回は朝鮮出兵と豊臣秀吉の死を解説していきます。

天下統一後、豊臣秀吉が何をしたのかハッキリ言えない人も割と多いのではないでしょうか?

江戸時代に移り行く過程を、写真と共に見てきましょう!

↓豊臣秀吉が権力を握った過程を復習したい方は、こちらをご覧ください!!↓

天下統一後の豊臣秀吉

1590年、「豊臣秀吉」は54歳にして、遂に天下統一を果たしました。

「豊臣秀吉」は休む暇もなく、次は「明(中国)」に目を向けます。

「豊臣秀吉」が海外に目を向けた理由は分かっていませんが、いくつか説を挙げます。

①武士に仕事を与える為

天下統一を成し遂げると、1つ問題が出てきます。

全国から争いが無くなると、武士は戦う相手がいなくなって暇になります。

全国の武士は秀吉に好きで服従している訳ではない為、暇になると不満を持って反乱を起こすかもしれません。

そこで「豊臣秀吉」は自分への不満を解消する為に、武士達の力を外に向けた言われています。

②自分の力を世界に見せつけたかった

「豊臣秀吉」は農民出身で身分が低かったにも関わらず、天下を取った人です。

「自分の凄さを、もっと広く世界に知らしめたい」、「中国(明)を征服すれば、日本はもっと強くなれる」、そんな思いもあったと考えられています。

秀吉は明を征服して、世界の覇者を目指したのかもしれません。

朝鮮出兵

〈1592年 文禄の役〉

下の地図は現在のものです。

〈画像:Wikimedia Commons〉

中国に侵略しに行く為には、まず朝鮮半島を通る必要があります。

朝鮮は単なる通り道ですが、完全に巻き添えを食らいました。

まずは朝鮮に対して、日本に服属するように手紙を送ります。

朝鮮は明の属国なので、当然「豊臣秀吉」の要求を拒否します。

その報復として、朝鮮に出兵する事が決定します。

戦の拠点として、佐賀県に「名護屋城」を建設しました。(名古屋城とは別です!!)

〈肥前名護屋城図屏風:Wikimedia Commons〉

「名護屋城」は「大坂城」の次に大きい巨大な城だったそうです。

15万人の兵を動員した「文禄の役」の始まりです。

〈文禄の役:Wikimedia Commons〉

「文禄の役」の先陣を切ったのは「小西行長」「加藤清正」です。

〈小西行長:Wikimedia Commons〉

〈加藤清正:Wikimedia Commons〉

文禄の役は最初、圧倒的日本軍有利で進みます。

戦いに慣れている日本の武士は、次々に朝鮮の城を落としていきます。

しかし戦線を伸ばしすぎて、日本からの補給が段々と間に合わなくなってきました。

朝鮮側も「李舜臣(りしゅんしん)」率いる朝鮮水軍の激しい抵抗によって、徐々に戦況は悪化します。

〈李舜臣:Wikimedia Commons〉

「李舜臣」は「亀甲船」を考案し、日本の補給路の分断に成功しました。

〈亀甲船:Wikimedia Commons〉

戦争継続が困難になり、前線の武将は「豊臣秀吉」に内緒で講和交渉を始めます。

一時休戦となり、日本軍は撤兵しました。

講和交渉の内容

講和交渉の内容が、非常に重要です。

講和交渉に臨んだのは「小西行長」で、戦争を一刻も早く止めようと考えている人物です。

朝鮮側の代表の「沈惟敬(ちんいけい)」も、これ以上意味の無い戦いはやめようと考えていました。

2人は何とか戦を終わらせる為に、「沈惟敬」は明の皇帝に、「日本側が降伏した」と伝えました。

一方「小西行長」は「豊臣秀吉」に、「明側が降伏しました」と伝えました。

こんな嘘を付いても長続きする訳がありませんが、それほど朝鮮出兵は不毛な戦いだったのかもしれません。

結局「豊臣秀吉」にバレてしまい、「小西行長」はメチャクチャ怒られました。

〈1597年 慶長の役〉

講和交渉の真相を知り「豊臣秀吉」は激怒、再出兵の命令が出ました。

「慶長の役」の勃発です。

〈慶長の役:Wikimedia Commons〉

「文禄の役」から日本軍は学んでいました。

「文禄の役」では戦線を伸ばし過ぎたのが原因で、補給路を分断されました。

「慶長の役」では土地を占領し城の築城をする事で、拠点の確保を優先したのです。

しかし朝鮮側も攻撃を仕掛けてくるので、不安定な戦況が続きました。

敵将を打ち取った武士達は褒美をもらう為に、相手の首を持って帰らなければいけません。

しかし船に沢山の首を乗せる事は厳しいです。

そこで討ち取った敵の「耳」を切り、日本に持って帰ってきました。

その耳が収められているのが、京都の方広寺の近くにある「耳塚」です。

〈耳塚:Wikimedia Commons〉

〈1598年 豊臣秀吉 死去〉

「豊臣秀吉」が病気で亡くなったことで、特に戦果も無いまま撤退しました。

この戦いによって多くの命が失われ、朝鮮や日本の双方に大きな被害をもたらしました。

朝鮮人は現在も、朝鮮出兵を理由に日本を嫌っている人も多く居ます。

江戸幕府が国交を回復するまで、朝鮮との国交は断絶しました。

朝鮮では「文禄の役・慶長の役」を「壬辰・丁酉の倭乱(じんしん・ていゆうのわらん)」と呼んでいます。

「壬辰」が29番に、「丁酉」が34番にあります。

「文禄の役」から「慶長の役」まで5年期間が空いているので、計算が合いますね。

当時は「干支」が60個あったので、新しく出てきたら確認するようにしましょう!

キリスト教の追放

〈1587年 バテレン追放令〉

当時キリスト教を信じる人々(キリシタン)が増えていました。

戦国時代はヨーロッパが大航海時代を迎えており、鉄砲やキリスト教などが伝わった時期です。

キリスト教はスペイン人の「フランシスコ=ザビエル」によって、日本に伝えられました。

〈フランシスコ=ザビエル:Wikimedia Commons〉

「織田信長」は仏教勢力を対抗した事を背景にキリスト教の布教を認め、「豊臣秀吉」も最初はキリスト教に寛容でした。

しかし九州の大名である「大村純忠」が、長崎の土地をキリストの教会に寄進(プレゼント)した事で事情が変わります。

〈大村純忠:Wikimedia Commons〉

このまま放置しておくと、日本がキリスト教に乗っ取られるのではと警戒するようになり、「バテレン追放令」を出しました。(バテレン=宣教師)

キリスト教宣教師を国外追放にし、大名が無断でキリスト教徒になる事も禁止にしました。

しかしキリスト教の国を相手にする「南蛮貿易」は日本にもたらす利益が大きい為、継続されました。

〈南蛮貿易:Wikimedia Commons〉

〈1596年 サンフェリペ号事件〉

スペイン船の「サンフェリペ号」が、現在の高知県に漂着した事件です。

日本では「バテレン追放令」が出されているので、荷物を強奪して速やかに帰らせました。

スペイン人の乗組員は日本からの仕打ちに対し、日本なんて簡単に征服出来ると脅してきました。

話を詳しく聞くと、「キリスト教」を布教しながら世界を植民地化してると言うのです。

豊臣秀吉はキリスト教へ危機感を覚え、長崎の地で26人の宣教師を処刑しました。

1597年2月5日に起きたこの出来事を「26聖人殉教」と言います。

〈26聖人殉教:Wikimedia Commons〉

豊臣秀吉の集大成

聚楽第の建設

「聚楽第(じゅらくだい)」は、豊臣秀吉が京都に建てた巨大な城兼御殿です。

〈聚楽第:Wikimedia Commons〉

ただの住まいではなく、権力の象徴として建てられた特別な建物でした。

1588年に、「後陽成天皇」が聚楽第を行幸(ぎょうこう) しています。

〈後陽成天皇:Wikimedia Commons〉

「豊臣秀吉」が天皇を自分の屋敷に迎えた事で、「武士の中の一人」から「天皇に認められた天下人」へ格上げされた瞬間でした。

大阪城の建設

「豊臣秀吉」の象徴である「大阪城」を建てました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

特に大阪城は全国統一のシンボルとなる城で、現在の大阪城は41.5メートルの高さを誇ります。

ここで豊臣秀吉は政治を行い、多くの武将を招いて豊臣政権を築きました。

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