【10分で分かる】院政ってなに?〜上皇が政治を動かした時代をわかりやすく解説〜

平安時代

こんにちは、パルです!

今日は院政について解説していきます。

平安時代中期のキーポイントである院政は影が薄く、苦手とする人が多い印象です。

上皇が力を持った理由を、写真と共に学んでいきましょう!

そもそも院政とは?

院政とは天皇をやめた上皇が、自分の住居(院)で政治を行うことです。

本来なら天皇が中心になって政治をするはずですが、院政が行われていた時代は、上皇が天皇を動かして政治をコントロールしていました。

上皇が政治をする場所は、「院庁(いんのちょう)」と呼ばれました。

なぜ院政を始めたのか?

院政を始めたのは、白河上皇(上の写真)です。

白河上皇の父は後三条天皇(下の写真)で、摂関政治で権力握り政治に口を出す藤原氏を、遠ざける事に成功しました。

これは後三条天皇が藤原氏を外戚に持たない為、藤原氏の顔色を伺う事無く政治を執る事が出来たからです。(外戚だと藤原氏がおじいちゃんになる為、言う事を聞かなきゃいけない。)

後三条天皇は自ら政治を執る「親政」を行いました。

後三条天皇の息子である「白河天皇」は自分の息子に天皇の位を譲って上皇になり、国の政策や天皇の結婚相手など、重要な事を裏から操り、天皇をコントロールし始めました。

表向きは天皇が政治をしているように見せながら、自分が本当の政治の実権をにぎるという新しいスタイルを確立し、以後100年ほど院政が続くことになります。

上皇の権力を強固にした要素

大きな要素として、上皇は自分の土地を持っていたことが挙げられます。

上皇は、「院領(いんりょう)」という広い土地を持っていて、そこから得られる税金や米を自分のものにできました。お金があると人を動かす力があり、多くの人が上皇に従いました。

補足ですが、この当時は原則「公地公民」が適用されています。奈良時代に墾田永年私財法が出され、完全な公地公民は崩れましたが、所有者がいなくなった土地などは天皇が所有する決まりになっています。

ただこれは天皇の私有地になるわけではなくて、公地から得られた税金は役人などの給料や様々な国家事業の費用などに充てていたため、天皇が自由に使えるお金ではありませんでした。

しかし上皇だと話は別です。上皇は天皇ではない為、公地公民のルールが適用されず、自分の土地から得た税金を好きなように使う事が出来ました。

上皇は自分の土地を守る為、土地を守る見回り役(武士の始まり)を雇い、巨大な財力と軍事力を手に入れ、政治を執っていきました。

なぜ院政が衰退したのか

結論から言うと、武士が力を付けたからで、大きく分けて2つの理由があります。

①上皇や貴族の間で争いが絶えなかった

上皇になると大きな権力を握れるので、誰が天皇になるか、誰が政治をするかで上皇や貴族達の争いが頻発しました。

特に有名なのが、「1156年、保元の乱(ほうげんのらん)(上の写真)」や「1159年、平治の乱(へいじのらん)(下の写真)」です。

こうした争いの中で土地の見回り役だった武士が、いつしか実際の戦いに投入されるようになり、武士の強さで政治の実権が決まるようになっていました。

②武士が土地を管理するようになった

次第に武士が年貢(税)を集めたり、治安を守ったりするようになり、土地の支配者=武士という構図ができました。

こうなると大きな土地を所有する武士は大きな力を持つことになり、平清盛を筆頭とする「平氏」や、源頼朝を筆頭とする「源氏」が頭角を現すようになりました。

こうして世の中は武士の時代となり、鎌倉時代の幕開けとなるのです。

最後に

お疲れ様!

院政の仕組みは理解できたかな?

平安時代は桓武天皇→藤原氏→院政→平氏と権力が移り変わります。

次回は権力を握った平氏の繁栄と滅亡を見ていこうと思います。

では次の授業で~

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