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今回の和歌
97番 権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ) 『新勅撰集』巻13・恋3・849
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ

〈画像:Wikimedia Commons〉
現代語訳
現代語訳
来ない人を、松帆の浦の夕凪の中で、藻塩を焼くように、
わたしの身も恋しさに焦がれ続けていることだ。
語句解説
【来ぬ人】
来てくれない人。
ここでは恋人や愛しい相手を指す。
【まつほの浦(別名:松帆崎)】
淡路島北端にある海岸。(下の写真は松帆の浦と明石海峡大橋)
〈画像:Wikimedia Commons〉
古くから景勝地として知られ、和歌にもよく詠まれます。
「松帆(まつほ)」と「待つ(恋人を待つ)」の掛詞です。
【夕なぎ(夕凪)】
夕方の風がやみ、海面が静まりかえった状態。
しんとした時間の中で、待つ人の思いが際立ちます。
山と海の温度が朝と夕方にはほぼ同じになるので、無風になります。
【藻塩(もしほ)】
「藻塩」= 海藻を焼いて塩を作る方法。
海藻を干して焼き、更に煮詰める事で塩を得る古代の製塩法。
「焼く」、「藻塩」、「こがれ」は縁語です。
【身もこがれつつ】
「身」は自分の心や体。
「こがれ」は「焦がれる」からで、「好きな人に思い焦がれる事」、「火で燃えて身を焦がす海藻」を掛けています。
「つつ」は継続している状態を意味します。
作者: 権中納言定家
藤原 定家(ふじわらの さだいえ/ていか)〈1162年 ~ 1241年〉
〈画像:Wikimedia Commons〉
鎌倉時代初期を代表する歌人で、公家・文化人としても名高い人物です。
藤原俊成の子で、この百人一首の撰者でもあります。
平安時代以来の和歌の伝統を継承しつつ、「幽玄」「有心(うしん)」といった洗練された美的理念を発展させ、後世の歌風に大きな影響を与えました。
後鳥羽院の命によって『新古今和歌集』の編纂に携わり、その中心的存在として活躍します。
↓後鳥羽院について解説しています、こちらもご覧ください!!↓
また、自らの歌論書『近代秀歌』『毎月抄』などで、和歌の理論や技巧を後世に伝えました。
政治的にも公家社会の中で活動しましたが、後鳥羽院との関係は次第に悪化し、承久の乱(1221年)以後は院方から遠ざけられました。
それでも晩年まで歌作を続け、数多くの名歌を残しています。
〈~現代とは違う感覚を知ろう!~〉
彼はこの百人一首の撰者でもありながら、「選者が自分の歌も入れている」 ということが、ちょっと面白いポイントです。
選出基準は「優れた歌」「有名な歌人」「歴史的バランス」などで、時代は飛鳥~鎌倉まで広くカバーしています。
平安末期~鎌倉期の代表的歌人である定家は、自分も当時の一流歌人とされていたため、百人に数えられても不自然ではありません。
現在の「審査員は出場できない」ルールは当時の歌の世界にはなく、「選者が自分の作品を入れる」のは珍しくありませんでした。
鑑賞:松帆の夕凪と、恋焦がれる想い🔥
訪れるはずのない恋人を待ち続ける切ない心情を、松帆の浦の静かな夕暮れの情景に重ねて詠んだ恋の歌です。
松帆の浦(現在の淡路島付近)は、古くから藻塩を焼く風景で知られた地名です。
ここでは夕凪の海辺で、藻塩を焼く煙が静かに立ちのぼっている光景が描かれています。
その「藻塩を焼く」様子を、自らの恋の思いに重ね合わせ、火にあぶられて焦がれる藻のように、自分の身も恋の炎で焦がれていると表現しています。
定家の巧みな点は、「夕なぎ」という一見静かな時間を設定しながら、その内側にじわじわと身を焦がす情念を隠しているところです。
表面は穏やかでも心の中では燃え続ける苦しみがある。
この静と動の対比が、歌に深い陰影を与えています。
また、この歌は『新古今和歌集』らしい繊細で優美な構図を持ち、恋の絶望感を直接的に述べず、風景の中に沈め込むことで、余韻のある表現になっています。
定家の恋歌の中でも特に情感豊かで、読む者にしっとりとした寂しさを感じさせる一首です。
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