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今回の和歌
70番 良暹法師(りょうぜんほうし) 『後拾遺集』秋・333
寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ

〈画像:Wikimedia Commons〉
現代語訳
現代語訳
寂しさにたえかねて、住まいを出て外を眺めてみると、
どこを見ても同じように、もの悲しい秋の夕暮れであった。
語句解説
【寂しさに】
「寂しさのあまり」の意味。
「に」は原因・理由を表します。
【宿を立ち出でて】
「宿」= 住まい、庵(いおり)など。
ここでは自分の住む場所。
「立ち出づ」は「立ち去る」「出て行く」の意味。
「て」は連用形の接続助詞です。
【眺むれば】
「眺む」=「物思いにふけりながら景色を見る」
「眺む」の已然形 + 接続助詞「ば」がつき、「〜すると」という意味を表す順接の確定条件を表します。
【いづこも同じ秋の夕暮れ】
「いづこ」=「どこもかしこも」という意味。
古典和歌で特にもの悲しさの象徴とされる時間・季節の組み合わせ。
この当時の流行りの情緒的な定番表現です。
作者: 良暹法師
良暹(りょうぜん)〈生没年不詳〉
平安時代中期の天台宗の僧侶であり歌人です。
三十六歌仙にも選ばれている程、当時高く評価された人物の一人です。
彼は俗世を離れて仏道修行に励む一方で、和歌の世界でも名を残しました。
僧侶としての立場から、人生の無常観や孤独感、自然への感受性を繊細に表現した歌が多く見られます。
この和歌が収められている『百人一首』や『後拾遺和歌集』などでは、旅の孤独・寂しさ、そして「人がいても心が通じない」ような精神的な寂寞を描く表現に長けており、素朴で深い情感が特徴です。
鑑賞:気づいた恋の悩み、成就した先に🌇
作者が感じた深い寂しさを、秋の夕暮れの情景と重ねて詠んだ作品です。
「宿を立ち出でて」とあるように、住まいを出て外に出てみたものの、どこを見ても風景は同じで、心を晴らすような変化も慰めも見つかりません。
秋の夕暮れという時間は、古来より「もののあはれ」を最も強く感じさせる情景とされ、ひときわ孤独や哀愁が深まる時間帯です。
その寂しさを自らの内面と重ね合わせ、「自分だけでなく、どこへ行っても同じように世界は寂しいのだ」と、普遍的な孤独感を静かに語っています。
また、「いづこも同じ」という表現には、どこにも慰めを求めることができない、諦念や達観の境地も感じさせます。
僧侶という立場から見える、無常観や人生の孤独といった哲学的な視点も、この一首には色濃く表れています。
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