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【百人一首解説】NO.13 陽成院

百人一首

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今回の和歌

筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは)
恋(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる

〈画像:Wikimedia Commons〉

現代語訳

現代語訳

筑波山の峰から流れ落ちる男女川のように、

私の恋心も積もり重なって、とうとう深い淵のようになってしまった。

語句解説

【筑波嶺(つくばね)】

「筑波山(つくばさん)」の古称または雅な呼び方。

茨城県にある筑波山は、昔から歌に詠まれる名所。

恋人達の伝説もあることから、恋の象徴としてもよく登場します。

【峰(みね)】

山の高い部分、山頂。

ここでは「筑波山のてっぺん」から川が流れ出している様子を指している。

【落つる(おつる)】

山の峰から川が流れ落ちてくる動き

恋が流れ出す、感情が湧き出すようなイメージ。

【男女川(みなのがわ)】

実在の川で、筑波山のふもとを流れる。

「みなの(男女)」という名前が、男と女=恋の情景を連想させる。

【つもりて(積もりて)】

「積もる」=だんだん増える、重なる

恋心が時間とともに積み重なっていく様子を表している。

【淵(ふち)】

川の中でも深く静かな場所。

恋が積もりに積もって、激しくも深く静かな淵のようになったという比喩。

【なりぬる】

「ぬる」=完了を表す助動詞。なってしまったの意味。

作者:陽成院(陽成天皇)

陽成院(ようぜいいん)869年~949年

陽成院(ようぜいいん)は、平安時代前期の人物で、第57代天皇・陽成天皇として即位したのち、退位後にその名で呼ばれるようになった人です。

本名は貞明(さだあきら)親王といい、清和天皇の第一皇子として生まれました。

僅か9歳で即位しましたが、若さ故の不安定さや性格的な粗暴さが問題視され、17歳のときに天皇の位を退かされました。

退位後は「陽成院」と称され、政治の表舞台からは身を引いて静かな生活を送ることになります。

しかしその後、和歌の道に強い関心を示し、多くの優れた歌を残しました。

陽成院の和歌は、自然の情景や恋愛感情を巧みに織り交ぜた情熱的な作風が特徴で、感情の深さや流れるような言葉の美しさが高く評価されています。

陽成院は長寿を保ち、82歳で亡くなりました。

退位という波乱に満ちた人生で歌人として名を残した陽成院は、和歌を通して人間らしい心の揺れや情熱を後世に伝えた印象深い人物です。

鑑賞:止まるところをしらない恋心 💗

この和歌は恋の深まりを自然の流れに例えて詠んだ、非常に情感豊かな一首です。

冒頭の「筑波嶺の峰より落つる男女川」は、茨城県の筑波山に実在する川の名を使いながら、山から流れ出る川の様子を描いています。

この川が高い山から流れ下り、やがて深い淵になるという自然の流れに、自分の恋心を重ね合わせているのです。

恋は最初は小さな思いだったかもしれませんが、それが時を重ねるごとに心に積もっていき、やがて自分でもどうしようもないほどの深い感情、「淵」となってしまった——その心の変化が、実に滑らかに、そして美しく表現されています。

川の名前も「男女(みなの)」であり、男女の関係=恋愛を強く意識させる工夫となっており、技巧的にも優れています。

また、「恋ぞつもりて」という言葉には、静かに確実に深まっていく感情の重みが感じられ、「淵となりぬる」の結びに至って、もはや自分では抑えられない恋の深さが伝わってきます。

激情をぶつけるような派手さはありませんが、自然の例えを通じてじわじわと心に染み入るような恋の重みを伝える歌なのです。

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