皆さんこんにちは、パルです!
今回は「奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)」について扱います!
中学の歴史を習っていると奥州藤原氏って急に出てきませんか?笑
奥州藤原氏がどんな一族だったのか、なぜ有名なのかを写真と共に分かりやすく説明していきます!
同時期の京都の平安時代について知りたい方は、こちらをご覧ください!
奥州藤原氏とは?
平安時代の中期から鎌倉時代の初期まで、東北地方(今の岩手県や宮城県あたり)で大きな力を持っていた一族です。
「奥州」の「奥」は陸奥国(むつのくに)から来ています。
「藤原氏」は、貴族の中でも有名な一族で、政治の中心である京都でも活躍していました。
奥州藤原氏は、この藤原氏の流れをくむ人たちが東北で力を持ち、自分達の国のように治めていた一族です。
奥州藤原氏の権力者

〈画像:Wikimedia Commons〉
・初代は藤原清衡(ふじわらのきよひら)(上の写真)
奥州藤原氏の始まりは、藤原清衡という人物です。
彼は戦乱が続いていた東北で、戦いをおさめて地域をまとめ、平泉(今の岩手県)を中心とした平和な国づくりを始めました。
また、清衡は戦争に疲れた人々のために仏教の力を使って、世の中を安定させようと考えました。
そのため、京都にも負けないほど立派なお寺「中尊寺(ちゅうそんじ)」を建て、金色の「金色堂(こんじきどう)」には自分のお墓もつくったんです。(下の写真)

〈画像:Wikimedia Commons〉
清衡のあとを継いだのが、2代目・藤原基衡(もとひら)(下の写真)です。
清衡と肖像画が似ていますが、微妙に違います。

〈画像:Wikimedia Commons〉
彼は毛越寺を建立しました。(下の写真、復元図)

〈画像:Wikimedia Commons〉
毛越寺は平泉で戦乱が起こり、火災の影響で焼失しました。
今は池などの跡地しか残っていません。
基衡の後を継いだのが、三代目・秀衡(ひでひら)(下の写真)です。

〈画像:Wikimedia Commons〉
秀衡は無量光院(むりょうこういん)というお寺を建てました。(下の写真、復元図)

無量光院も毛越寺と同様、平泉で戦乱が起こり、火災の影響で焼失し、現在では池などしか残っていません。
彼らは平泉をどんどん発展させ、京都のような文化の町を作りました。金・馬・米などの産物を使って、他の国や中国とも交流していたとも言われています。
源義経(みなもとのよしつね)との関係
奥州藤原氏が教科書などで有名になる大きな理由の一つが、源義経(よしつね)(下の写真)との関係です。

〈画像:Wikimedia Commons〉
源義経は、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である、兄の源頼朝(よりとも)と仲が悪く、全国を逃げまわっていました。
そんな中、藤原秀衡は義経をかくまって守ってあげたのです。(源義経は小さい頃から、秀衡と親しかったと言われています。)
しかし秀衡の死後、4代目の藤原泰衡(やすひら)(肖像画は現存していない)は、頼朝が義経を差し出せと何回も言ってくるので、圧力におされて義経を殺してしまいます。
しかし頼朝から「殺せとは言っていない」と難癖をつけられ頼朝の怒りを買い、ついに奥州藤原氏は滅ぼされてしまいました(1189年)。
こうして源頼朝は東北にも守護と地頭を設置し、東国を手中に収めました。
その後西国にも影響を及ぼし始めますが、それは次の授業で!
受験生の方へ
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