【10分で分かる】関ヶ原の戦いを分かりやすく解説

戦国時代

皆さんこんにちは、パルです!

今回は秀吉の死後から関ヶ原の戦いまでを解説していきます。

天下統一も束の間、日本は天下分け目の決戦を迎えます。

移り行く時代を写真と共に学んでいきましょう!

早すぎた秀吉の死

前回の復習ですが、秀吉は「関白」に就任し、武家の中でも公家の中でも頂点に君臨しました。

しかし、秀吉には大きな弱点がありました。

それは、秀吉の死後に政権を引き継ぐ後継者が幼かった事です。

秀吉の息子は豊臣秀頼(上の写真)と言い、秀吉が亡くなった時まだ6歳で、当然政治を執る事は出来ません。

そこで秀吉は、自分の死後に息子を守る体制を整える為に、大名たちに「五大老(ごたいろう)」と「五奉行(ごぶぎょう)」を設置しました。

詳しい内容は高校で習うので、以下は流し読みで構いません。

〈五大老〉

メンバー

  • 徳川家康(とくがわいえやす)
  • 毛利輝元(もうり てるもと)
  • 上杉景勝(うえすぎ かげかつ)
  • 前田利家(まえだ としいえ)
  • 宇喜多秀家(うきた ひでいえ)

五大老は重要な政治・軍事の決定を行う、いわゆる現場の人という感じです。この中でも特に力を持っていたのが、徳川家康(下の写真)です。

〈五奉行〉

メンバー

  • 石田三成(いしだ みつなり)
  • 前田玄以(まえだ げんい)
  • 長束正家(なつか まさいえ)
  • 増田長盛(ました ながもり)
  • 浅野長政(あさの ながまさ)

五奉行はお金の管理、土地の調査、法律の実施などを行う、官僚みたいな感じです。

ここで皆さんに覚えといて欲しい事が1つあります。

それはこれだけの権力者達を集めて、揉めない訳が無いという事です(笑)

中でも一番の実力がある徳川家康は秀吉の死後、禁止されていた大名同士の婚姻を行い、軍事的結束を固め、豊臣家を凌駕する存在になっていました。

これを良しとしなかったのが、秀吉大好き・石田三成(上の写真)です。

石田三成は家康の動きを「豊臣政権を乗っ取ろうとしている」と見て、各地の大名に呼びかけて家康に反抗します。

教科書にも同じような説明があるとは思いますが、このような解説を見ると徳川家康と石田三成がライバル関係のように見えます。

しかし現実問題、徳川家康は石田三成よりも遥かに格上です。

この当時の大名のパワーを測る指標に「石高」があります。

石高とはどれほどの土地があり、どれだけお米の生産ができるかが分かる指標です。

多くのお米が採れるという事は、多くの兵士を維持できるという事です。

徳川家康の石高は約250万石、石田三成の石高は約19万石と、正直相手にもなりません。

そこで石田三成は、石高約120万石ある毛利輝元(上の写真)を西軍の総大将とし、徳川家康率いる東軍と争いに発展します。

こうして1600年、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」が始まりました。

関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い(上の写真)では、西軍(石田三成側)と東軍(徳川家康側)が対立しました。

西軍には島津義弘や宇喜多秀家(上の写真)などの有力武将が、東軍には井伊直政や福島正則(下の写真)などの家康の部下が参戦しました。

しかし戦いが始まってすぐ、西軍の中で東軍に寝返る武将が続出し、形勢が大きく東軍に傾きます。

特に小早川秀秋(下の写真)の裏切りは決定的で、元々西軍として布陣していた彼が、戦の最中に東軍に加勢した事で、西軍は大混乱となり石田三成は決定的となりました。

ちなみに小早川秀秋は西軍の総大将・毛利輝元のいとこにあたる人物です。

輝元は、「秀秋のやろう裏切りやがって…」と思っていたことでしょう(笑)

小早川秀秋が光成を裏切った理由は諸説ありますが、有力な説を2つ紹介します。

徳川家康からの圧力と約束説

  • 家康は秀秋に「もし西軍を裏切れば、加増する(領地を増やす)」と約束していたとされます。
  • 若くて野心もあった秀秋は、「自分が将来、豊臣政権で出世できるか不安」だった為、この誘いに乗ったとも言われます。

石田三成との不仲

  • 三成は「官僚型の真面目な政治家」で、感情より規律を重視する人物。
  • 一方、秀秋は若くて自分の立場を大切にしたいタイプ。
  • 三成が秀秋を信頼していなかった事もあり、「自分は大事にされていない」と感じていた可能性があります。

この関ヶ原の戦いの勝利により、徳川家康は反徳川家を一掃し豊臣家も格下げしてただの一大名に成り下がりました

西軍に参戦した大名を、領地没収や島流しにして、権力を強固なものにしました。

3年後の1603年には江戸に幕府を開き、天皇から征夷大将軍に任命されました。

これが「江戸時代」の始まりです。

徳川家康は幼少期から人生ハードモードだったので、戦の無い平和な時代を目指す秩序を作り上げ、江戸幕府は260年以上続きました。

最後に

お疲れ様!

今回は関ヶ原の戦いを解説しました。

日本史の転換点とも言われる天下分け目の決戦は、まだまだ面白い話が沢山あります。

この授業を聞いて少しでも歴史を好きになってくれたら、本当に嬉しいです!

次回は家康が築いた江戸幕府の仕組みを見ていこうと思います。

それでは次の授業で~

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