「現役の塾講師」が歴史の面白さを本気で伝授!

【10分で分かる】暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗について分かりやすく解説!

江戸時代

皆さんこんにちは、パルです!

今回は徳川吉宗について解説します!

有名な人物ですが、実際に何をしたんだっけ?って忘れている人も多いと思います。

高校生の人は、教科書をみて暗記量が多く、うんざりしている方もいるかもしれません(笑)

徳川吉宗は「暴れん坊将軍」、「米将軍」、「米公方」など、沢山のあだ名を持つ人物です。

彼の魅力はどこにあるのか、写真と共に見ていきましょう!

江戸時代中期の状況を知りたい方は、こちらをご覧ください!

徳川吉宗とは?

〈画像:Wikimedia Commons〉

徳川吉宗(上の写真)は、1684年に紀州藩(和歌山県、下の写真は和歌山城)の藩主の家に生まれました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

紀州徳川家は、徳川家康の子ども達から分かれた「御三家(ごさんけ)」の一つです。

子どもの頃は「源六(げんろく)」という名前で、勉強が好きでとても真面目な性格でした。

吉宗は三男として生まれた為、最初は将軍どころか藩主にすらならないと考えられており、吉宗自身も質素な生活を送っていました。

新井白石が幕府の主導権を握っている頃、紀州藩では吉宗の兄達が次々と亡くなった為、吉宗は紀州藩の藩主となっていました。

1705年に紀州藩主となってから、財政が苦しい紀州藩の立て直しを始めました。

贅沢を止め無駄な支出を減らし、「質素倹約」を合言葉に、紀州藩の経済を少しずつ立て直していきました。

徳川吉宗、将軍になる

〈画像:Wikimedia Commons〉

1716年に江戸幕府の7代将軍だった徳川家継(上の写真が、僅か8歳で亡くなると、紀州藩を立て直した功績が評価され、吉宗が次の将軍として選ばれました。

当時の幕府は政治が全然上手くいっておらず、財政も悪化していた為、吉宗に期待が集まりました。

将軍になった吉宗は、収入を増やし支出を減らす様々な改革を行いました。

これを時の年号を取って、「享保の改革」といいます。

中学生は①〜④までを覚えましょう!

〈享保の改革の内容〉

倹約令(けんやくれい)

目安箱の設置

公事方御定書(くじかたおさだめがき)

新田開発の奨励

上米の制(あげまいのせい)

足高の制

堂島米市場の承認

相対済まし令

以下に①〜④を解説していきます。

倹約令

「質素倹約」を合言葉に節約を大切にし、大奥の経費削減や肌着を木綿に変えたりと、身の周りから次々に手を入れていきました。

紀州藩時代の経験が、大きく反映されている政策です。

目安箱の設置

「目安箱(めやすばこ)」という箱を設置し、町人や農民の意見を直接集めるようにしました。

これは当時は超画期的で、農民が将軍に意見するのは有り得ない事でした。

勿論なんでも意見して良い訳ではなく、記名式で街の為になるような意見という縛りがありました。

目安箱の効果として、火事や病気などへの対策があります。

当時の江戸は木造住宅が密集していたので、一度火事になるとあっという間に燃え広がる構造をしていましたが、目安箱を機に、新たに家を建てる時には住宅の間隔を空けたり、道路の幅を広げる事により、江戸が火の海になる事を防止しました。

公事方御定書

公事方御定書は裁判を効率化する法律集です。

いつの時代もそうですが、土地に関する裁判は後を絶ちません。

それに加えて殺しや盗みなどの裁判も当然抱えています。

毎回の裁判でその都度判決を考えていては、全国の訴訟を捌き切れません。

そこで今までの裁判の判例(裁判の結果)を集めて、新しい裁判の時の参考にする事で、裁判を迅速化しました。

公事方御定書の効果はかなりあったようです。

新田開発

当時の税金はお米で治めていました。

お米の収穫の量が増えるという事は、税金でとれる量も増えるので、幕府の収入を増やす効果があります。

農民に対して新しい土地を開発する「新田開発」を奨励し、幕府の支出を上げようとしました。

また、新田開発は農民にとってもメリットがありました。

1. 自分の耕作地が増える(収入が増える)

  • 新田を開発して耕作すれば、その土地の年貢を納めつつも、余剰の米=自分の取り分が増える可能性がありました。

2. 地位の向上の可能性

  • 新田開発を成功させた農民は、名主(村のリーダー)などに昇進することもあった。
  • 領主や幕府から褒美がもらえるケースもありました。

他にもお米に関する政策を実行している吉宗は、人々から「米将軍」や「米公方」と呼ばれました。

⑤〜⑧に対しては高校生向きなので、別途用意するので、お楽しみに!

このようにして吉宗は、将軍として幕府の安定を図り、多くの人々の生活を良くしようと様々な政策を打ち出しました。

徳川吉宗の晩年と死去

〈画像:Wikimedia Commons〉

吉宗は将軍として約20年間政治を行い、第九代将軍に息子の家重(いえしげ)(上の写真)を指名して、1745年に将軍職をゆずりました。

その後は「大御所(おおごしょ)」と呼ばれる立場になり、江戸城の西の丸に住んで、家重の政治を助けました。

1751年、吉宗は病気により68歳で亡くなり、本格的に家重の代に移行しました。

受験生の方へ

大学受験を迎えるに当たって、絶対に外せない書籍があります。

それが日本史一問一答です。

 

 日本史一問一答【完全版】3rd edition [ 金谷 俊一郎 ]

今まで多くの日本史一問一答に目を通してきましたが、ダントツで使いやすいのが東進ブックス出版の一問一答です。

最難関大学にもバッチリ対応できる問題量で、共通テストの対策も勿論万全です。

以下が実際の例題です。

日蓮は[★★]教が仏法の正しい教えである事を悟り、

[]を唱える事によって救われると説いた。

文章が虫食い形式になっており、虫食いの[]の中に星1〜3が書かれていて、一目で単語の重要度分かります。

例題の答えは、★★=法華、=題目、となります。

私立大学にしろ、国公立大学にしろ、日本史受験をするなら絶対に必要になる書籍です。

学校のクラスを見渡すと、既に持っている人もいるのではないでしょうか。

自分が受ける大学の難易度に合わせて、勉強量を調節できる書籍なので、受験勉強のゴールを知る為にも、一回は目を通して欲しいです。

早めに対策した者が受験勉強を制します。

さぁ、日本史を楽しみましょう!

 

 日本史一問一答【完全版】3rd edition [ 金谷 俊一郎 ]

コメント

タイトルとURLをコピーしました