皆さんこんにちは、パルです!
今回は生まれながらの将軍・徳川家光の頃の政策について解説していきます!
彼の政策は、主に「参勤交代」、「キリスト教と鎖国」に分けて考えることができます。
江戸幕府の基礎を気づいた家光の政策を、写真と共に見ていきましょう!
大事な事柄は黄色、大事過ぎる事は赤で、登場人物は青でマーカーしてあるから、チェックしてね!!
徳川家に時代が始まった過程を復習したい方は、こちらをご覧ください!
参勤交代
幕府は外様大名を特に警戒し、彼らが反乱を起こさないように様々なもう一工夫をしました。
それが「参勤交代(さんきんこうたい)」(下の写真)です。

〈画像:Wikimedia Commons〉
〈参勤交代〉
参勤交代とは、大名が1年ごとに「自分の領地(藩)」と「江戸」を往復する制度です。
- 大名は4月から江戸に住み、翌年の4月からは自分の国に帰るというのを交互に繰り返しました。
- 大名の家族(特に正室や世継ぎの子ども)を人質として江戸に残す決まりもありました。
これによって、幕府は次のような効果を得ていました。
① 大名の財力を奪う
参勤交代では、多くの家来や物資を連れて長距離を移動する必要があります。
これには莫大なお金がかかり、江戸から遠い藩は1億円以上の費用が掛かりました。
幕府はこれによって大名の経済力を弱め、「反乱する余裕」を無くす狙いがありました。
② 大名を監視しやすくする
大名が定期的に江戸に来ることで、幕府は直接目を光らせることができます。
また大名の妻や子どもを江戸に住まわせる事で、大名が反乱を起こせば「人質にとられている家族に被害が及ぶ」というプレッシャーもかけられました。
③ 大名同士の団結を防ぐ
参勤交代は1年置きに往復しますが、大名達はそれぞれ違うタイミングで江戸と領地を行き来していました。
なので簡単には集まって話し合うことができず、団結して幕府に反抗しないようにする工夫の1つでした。
キリスト教と鎖国
江戸時代初期を語る上で、キリスト教の話は欠かす事が出来ません。
ここで復習を入れます。
織田信長は仏教勢力と対立していた為、その勢力を弱める意味も有り、キリスト教の布教を許可しました。
豊臣秀吉は最初キリスト教を許可していましたが、キリシタン大名の大村純忠が、九州の土地をキリスト教に寄進(プレゼント)していると知り、事情が変わります。
キリスト教を秀吉の許可制にする事で対策はしましたが、南蛮貿易(下の写真)の利益は大きく、実際は黙認されていました。

〈画像:Wikimedia Commons〉
江戸時代に入っても南蛮貿易は続いており、この当時の貿易の相手国はスペインとポルトガルです。
日本が戦国時代の頃、世界は大航海時代を迎えており、スペインとポルトガルは世界の覇権国でした。
ここで絶対に覚えてほしいことがあります。
それはスペインとポルトガルは「カトリック」の国という事です。
カトリックに対して日本が室町時代の頃に、ルターが宗教改革を行い誕生したのが「プロテスタント」で、代表的な国はイギリスとオランダです。

〈画像:Wikimedia Commons〉
違いは様々ありますが、カトリックは貿易とキリスト教の布教がセットで、プロテスタントは別々というのが特徴です。
江戸時代になると世界の覇権国は、スペインとポルトガルからイギリスとオランダに移り変わっていました。
オランダは幕府にカトリックは布教と共に侵略する野蛮な国と説明し、キリスト教を封じ込めたい幕府は1612年「禁教令」を出しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉
これはキリスト教あぶり出し政策で、聖母マリア(踏み絵、上の写真)の像を踏ませる、「絵踏み」(下の写真)という行為でキリスト教を判別しました。(踏み絵は聖母マリアの像そのもので、絵踏みは踏む行為のこと)

〈画像:Wikimedia Commons〉
1624年には一番布教を熱心に行っていたスペイン船の来航を禁止にしました。
ポルトガルは日本で重宝されている生糸を、日本に輸出くれていた為貿易を続ける考えがありましたが、1637年の島原の乱によって話が変わってきました。
島原・天草一揆(島原の乱)

〈画像:Wikimedia Commons〉
島原・天草一揆(上の写真)は1637年から1638年にかけて、九州の島原半島(現在の長崎県)と天草地方(現在の熊本県)で起きた大規模な農民一揆です。
江戸時代最大の反乱で、約3万人の農民やキリスト教徒が参加しました。
原因に関しては高校の内容ですが、非常に重要な所なので、余裕がある人は覚えてしまいましょう!
〈原因〉
- 重税と圧政
島原藩主・松倉勝家と、天草の領主・寺沢堅高は農民に過酷な年貢を課していました。さらに当時は飢饉も重なり、農民の生活は極限状態に達していました。 - キリスト教弾圧
この地域には多くのキリスト教徒(隠れキリシタン)が住んでおり、幕府による宗教弾圧が不満を更に高めていました。
反乱軍の総大将は、天草四郎(本名:益田四郎時貞)(下の写真)という16歳の若者です。

〈画像:Wikimedia Commons〉
彼はキリスト教徒たちにとって「神の子」とされ、多くの信者や農民をまとめました。
農民は役所を襲撃、武器や食料を略奪し、原城(下の写真、跡地)に立て籠った一揆の軍は3万7000人にも上り、対する幕府軍も本気を出し、12万の大軍を原城に差し向けました。

〈画像:Wikimedia Commons〉
幕府軍が一揆軍の補給路を断つと、一揆軍は餓死するもので溢れかえり、数か月後原城は落城しました。
一揆軍は自ら死を選ぶ者が続出しほぼ全滅、天草四郎も殺され、松倉勝家・寺沢堅高は処罰されました。(自殺するキリスト教徒を見て、幕府の兵は恐怖したと言われています。)
幕府は島原・天草一揆を受け、キリスト教のヤバさを再認識し、2年後の1639年にポルトガル船の来航を禁止にしました。
その2年後にはオランダ商館を出島(下の写真)に移し、キリスト教を巡る処遇は一段落しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉
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