【10分で分かる】大化の改新とその前後の流れ

皆さんこんにちは、パルです!

今回は日本古代史の転換点、大化の改新について扱います。

大事なことなのは知ってるけど、結局何をやったんだっけ?って思ってる方に、

前後の流れを含めて解説していきます。

大化の改新以前の日本

大化の改新以前の日本は、豪族(ごうぞく)と呼ばれる有力な家がそれぞれ自分の土地や人々を支配していて、天皇の力はそれほど強くありませんでした。

特に強力な権力を握っていたのは蘇我氏で、天皇の即位を勝手に決めたり、気に入らない天皇は暗殺したりと、やりたい放題していました。

そんな中で皇族の中大兄皇子豪族の中臣鎌足が協力し、645年に蘇我入鹿を暗殺しました。これの事件を「乙巳の変(いっしのへん)」と言います。

その後、「国を一つにまとめ、天皇中心の国をつくろう!」という大改革が行われました。これが大化の改新です。

大化の改新の内容

公地公民(こうちこうみん)
今までは豪族が土地や人々を自分のものとしていましたが、それをやめて「土地と人々はすべて国のもの」としました。これで天皇が国全体を直接治められるようにしようとしたのです。

班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)
国が人々に土地を分け与え、税を取る制度を作りました。6歳以上の男女に田んぼ(口分田)を与え、その土地からとれるお米をもとに税を集めるようにしたのです。

戸籍と計帳の作成
誰にどれだけ土地を与えるかを正しく管理するために、戸籍(住民のリスト)と計帳(税の記録)をつくるようになりました。

方の役所の設置
国を効率よく治めるために、地方にも役所をつくり、天皇の命令が全国に届くようにしました。

ちなみに「大化」というのは日本初めての元号です。新しい日本に生まれ変わる歴史的瞬間に、中国で元号を使っているのを見習い、「大化」を制定しました。因みに現在の年号は「令和」ですね。

大化の改新のその後

大化の改新の中心人物だった中大兄皇子は、後に天智天皇(てんじてんのう)となり、改革を進めていきます。

ただし、改革がすべてスムーズにいったわけではなく、豪族たちの反発もありました。それでもこの改新によって、天皇を中心とした国の形が作られていく大きな一歩となったのです。

中臣鎌足は天智天皇よりも先に寿命を迎えますが、これまでの功績を讃えられ、天智天皇から「藤原」という苗字を貰っています。これが平安時代に最盛期を迎える藤原道長の祖先になるのです。

天智天皇の死後は、後継者争いが発生し、日本は激動の時代を迎えますが、それは次の授業で!

最後に

お疲れ様です!

大化の改新の影響は、次の時代である奈良時代に影響をメチャクチャ与えています。

しっかり内容を覚え、次の歴史に足を踏み出しましょう!

それでは~

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