皆さんこんにちは、パルです!
今回は朝鮮出兵と秀吉の死を解説していきます。
天下統一後、豊臣秀吉が何をしたのかハッキリ言えない人も割と多いのではないでしょうか?
江戸時代に移り行く過程を、写真と共に見てきましょう!
止まらない野望・朝鮮出兵(文禄・慶長の役)
豊臣秀吉が朝鮮出兵を実行した明確な理由は分かっていませんが、いくつか説が考えられています。
①武士に仕事を与える為
秀吉は天下統一を成し遂げましたが、そうなると問題が出てきます。
全国から争いが無くなると、武士は戦う相手がいなくなって当然暇になります。
全国の武士は秀吉に好きで服従している訳ではない為、暇になると不満を持って反乱を起こすかもしれません。
そこで秀吉は自分への不満を解消する為に、武士達の力を外に向けさせた言われています。
②自分の力を世界に見せつけたかった
秀吉は農民出身で身分が低かったにも関わらず、天下を取った人です。
「自分の凄さを、もっと広く世界に知らしめたい」、「中国(明)を征服すれば、日本はもっと強くなれる」
そんな思いもあったと考えられています。
中国は古代からずっと日本よりも高度な文化が発展しており、当時は「明(みん)」という王朝が栄えていました。
秀吉は明を征服して、自分がそのトップに立つ事で世界の覇者を目指したのかもしれません。
朝鮮は単なる通り道で、巻き添えを食らった可能性があります。
他にも様々な説がありますが、秀吉は中国(明)を征服することにします。

上の地図は現在のものですが、中国に侵略しに行く為には、まず朝鮮半島を通る必要があります。
そこでまずは朝鮮に、日本に服属するように手紙を送ります。
朝鮮は当然これを拒否、その報復として、1592年に朝鮮出兵の第一回戦・文禄の役(下の写真)が始まりました。

文禄の役は最初、圧倒的日本軍有利で進みます、
秀吉は日本の武士達を朝鮮に15万人以上の大軍を送り込み、戦いに慣れている日本の武士は、次々に朝鮮の城を落としていきます。

しかし戦線を伸ばしすぎて、日本からの補給が間に合っていなかった事や、李舜臣(上の写真)率いる朝鮮水軍の激しい抵抗・明の援軍参戦によって、戦いは長期化し日本軍は徐々に苦戦を強いられることになります。
戦争継続が困難になり戦地にいる武将は、秀吉に内緒で講和交渉をし一時休戦となりますが、秀吉にバレて秀吉は激怒。
秀吉から再出兵の命令が出て、1597年に朝鮮出兵の第二回戦・慶長の役(下の写真)が始まりました。

慶長の役では朝鮮側もしっかりと対策が練られており、開戦当初から苦戦続きでした。
秀吉が1598年に病気で亡くなったことで、特に戦果も無いまま撤退しました。
この戦いによって多くの命が失われ、朝鮮や日本の双方に大きな被害をもたらし、様々な悲劇がありました。(詳しい話は別で解説します。)
朝鮮出兵により、江戸幕府が国交を回復するまで、朝鮮との国交は断絶する事になりました。
秀吉のその他の政策
①1587年・バテレン追放令
秀吉の時代はキリスト教を信じる人々(キリシタン)が増えていました。
戦国時代はヨーロッパが大航海時代を迎えており、鉄砲やキリスト教などが伝わった時期です。
キリスト教はスペイン人のフランシスコ=ザビエルによって、日本に伝えられました。
織田信長は仏教勢力を対抗した事を背景に、キリスト教の布教を認め、秀吉も最初はキリスト教に寛容でした。

しかし九州の大名である大村純忠(上の写真)が、長崎の土地をキリストの教会に寄進(プレゼント)した事で事情が変わります。
このまま放置しておくと、日本がキリスト教に乗っ取られるのではと警戒するようになり、1587年にバテレン追放令を出し、キリスト教宣教師を国外追放にし、大名が無断でキリスト教徒になる事も禁止にしました。(バテレン=宣教師)

ただしキリスト教の国を相手にする南蛮貿易(上の写真・ポルトガルやスペインとの取引)は日本にもたらす利益が大きかった為、南蛮貿易は一部継続されました。
しかし1596年にサンフェリペ号事件が起きました。
詳しい事件の経緯は高校の内容なので省略しますが、スペイン船であるサンフェリペ号が日本に漂着し、スペイン人の乗組員が日本なんて簡単に征服できると脅してきた事件です。

秀吉はキリスト教への見せしめの為に、長崎の地で26人の宣教師を処刑しました(26聖人殉教・上の写真)。
②聚楽第や大阪城の建設

秀吉は政治の中心として、京都に「聚楽第(じゅらくだい)(上の写真)」や大阪に「大阪城(下の写真)」を建てました。

特に大阪城は全国統一のシンボルとなる城で、現在の大阪城は41.5メートルの高さを誇ります。
ここで秀吉は政治を行い、多くの武将たちを招いて豊臣政権を築きました。
最後に
お疲れ様!
今回は天下統一後の秀吉の政策と秀吉の死について解説しました。
秀吉の死は日本中を巻き込み、天下分け目の戦いへと突入します。
次回は関ヶ原の戦いと滅亡する豊臣家を見ていこうと思います。
それでは次の授業で~