【10分でわかる】平氏の台頭と源平合戦の行方

平安時代

皆さんこんにちは、パルです!

今回は平氏と源氏について授業します!

院政が衰え、武士が力を持った理由と鎌倉幕府の成立まで、写真を見ながら勉強していきましょう!

上皇を抑え、平氏が力を持った理由は?

まずは前回の復習です。

平氏が力を持つ前の時代、「院政」という政治の仕組みがありました。

これは天皇が位を自分の子や孫に譲ったあとも、上皇として裏で政治を動かす形です。

「白河上皇(上の写真)」、「鳥羽上皇」、「後白河上皇」と、三代にわたって続いた院政の時代には、天皇家の力は絶大でした。

しかし、時代が進むにつれて、政治や戦の現場では「武士」の力が必要になっていきました。

その中で頭角を現してきたのが、「平清盛(上の写真)」です。

清盛は平氏のリーダーで、上皇のために戦をしたり、反乱を鎮めたりして、大きな信頼を得ました。

「保元の乱」や「平治の乱」では、ライバルである源氏を打ち破り、都の政治の中心にのし上がりました。

そして清盛は、娘を天皇の后(きさき)にして、その子(安徳天皇)を天皇にすることにも成功します。

この構図どこかで見覚えがありませんか?

そうです、藤原氏がやっていた外戚という政策です。

これにより武士である平氏が、貴族や皇族のように高い地位を手に入れ、「武士の中の頂点」どころか、「国全体の中心」になっていったのです。

平氏の中では「平氏じゃなければ人じゃない」と言う奴が出てくる程でした。

【おまけ編】そもそも平氏とか源氏ってどこから現れたの?

ここで少し雑談を入れます。

武士が力を持った理由は何となく理解したと思いますが、そもそも平氏と源氏って何?って疑問に思う人が多いと思うので、解説を入れておきます。

気になる人は以下を読んでみてね!

平氏と源氏の始まりはなに?

結論から言うと、平氏も源氏も天皇の子です。

昔の天皇にはたくさんの子どもがいました。

でも全員が皇族でいると人数が多くなりすぎて、お金や地位を与えるのが難しくなります。特にお金は税金が資金源になっているので増やすのには限界があります。


そこで、決まりが作られました。

それは、天皇の子供でも、決められた代からはく皇族を離れ、姓が与えられて一般人になる事でした。

分かりやすく言うと、

「もう面倒見れないから、一般人として自分で何とかしろ!」ということです(笑)

このときに与えられた代表的な姓が…

「平」や「源」だったんです。

「平氏」は平安時代を始めた第50代「桓武天皇(下の写真)」の子孫です。

高校では「桓武平氏」と呼ばれるので覚えておきましょう。

「源氏」の始まりは、第56代清和天皇(せいわてんのう)(下の写真)の子孫です。

清和天皇も平安時代の天皇で、高校で詳しく習います。

「清和源氏」と呼ばれるので覚えておきましょう。

平氏の衰退

圧倒的な権力を握った平氏の栄光も、長くは続きませんでした。理由は大きく3つあります。

  1. 平氏一門で独占しすぎたこと
     清盛は、自分の一族を高い地位につけ、他の貴族や武士たちを遠ざけてしまいました。これに不満を持つ人たちが増えていきました。
  2. 地方の武士を軽視したこと
     全国には多くの武士がいましたが、平氏は都のことばかり考えていて、地方の武士を大事にしませんでした。これも反感を買う原因になりました。
  3. 清盛の死
     平清盛が亡くなると、平氏をまとめる強いリーダーがいなくなってしまいました。一族は力を失い、ばらばらになっていきます。それほどに清盛は圧倒的なリーダー力と信頼を持っていたのでした。
源氏の反撃と平氏の滅亡

平氏の衰えとは対照的に力をつけていったのが、源頼朝(みなもとのよりとも)です。

彼は保元の乱と平治の乱を経て、伊豆に流されていましたが、平氏の政治に不満を持つ武士たちと手を組み、反乱を起こします。

これが「治承・寿永の乱」、いわゆる「源平合戦」の始まりです。

頼朝本拠地とした鎌倉で指示を出し、弟である源義経(みなもとのよしつね)(上の写真)は武士たちの協力を得ながら、次々に平氏の領地を攻め落とし、平氏を追い詰めていきます。

そしてついに、1185年壇ノ浦(だんのうら)の戦い(下の写真)で平氏を滅ぼしました。

この戦いは海上戦だったので、平氏の人たちは海に飛び込んで亡くなるという壮絶な最後でした。

ただ悲しいこともありました。

今回の最初に解説した、清盛の孫にあたる安徳天皇(下の写真)を覚えていますか?

安徳天皇も源氏からの攻撃から、平氏の人たちと一緒に逃げていました。

そして壇ノ浦の戦いにもその姿がありました。

おばあちゃん(平時子)に抱きかかえられた安徳天皇はまだ6歳になったばかり。

安徳天皇は「私をどこへ連れて行こうとするのか」と問いかけ、平時子は「波の下にも都がございます」と返答し、入水するのでした。

歴代天皇で最も若くして亡くなった安徳天皇を想うと、いかに壮絶な時代だったかが分かりますね。

最後に

お疲れ様!

源平合戦はどうだったかな?

源氏と平氏については様々なエピソードが残っています。

気になる人は沢山調べてみて下さい。

自分とイメージとは違った時代の特徴を知ることができます。

では次の授業で!

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