皆さんこんにちは!
今回は豊臣秀吉の天下統一を確認していきます!
長きに渡る戦国時代も、豊臣秀吉によって終わりを告げようとしています。
各地に勢力を築く戦国大名を、確実に服従させていく過程に着目して下さい。
↓前回の内容は、こちらをご覧ください!!↓
羽柴秀吉の天下統一への第一歩
清須会議の決定事項として、三法師は「安土城」に入る事が決まりました。
しかし三男の「織田信孝」が「三法師」を連れて岐阜城に向かい、後継者同様に振舞い始めました。
「羽柴秀吉」はこの振る舞いに、当然ブチぎれます。
「羽柴秀吉」と仲が悪かった「柴田勝家」は「織田信孝」に味方し対立が加速します。

〈柴田勝家:Wikimedia Commons〉
「柴田勝家」は「滝川一益」など反秀吉派を集め挙兵します。
こうして始まったのが、「賤ケ岳の戦い」です。
〈1583年 4月 賤ケ岳の戦い〉
両軍ともに攪乱作戦を実行しながら、一進一退の攻防が続きます。
しかし統制が上手く取れなくなった柴田軍が敗北する結果で、幕を閉じました。

〈賤ケ岳の戦い:Wikimedia Commons〉
「柴田勝家」は居城である「北ノ庄城」に撤退しましたが、「羽柴秀吉」も追撃します。
持ち堪え切れず「柴田勝家」は自害、「織田信孝」も拘束され自害に追い込まれました。
〈1583年 大坂城 築城開始〉
「賤ヶ岳の戦い」に勝利した「羽柴秀吉」は、織田家家臣団の中でも頭1つ抜きんでた存在になりつつありました。
自分の権力の誇示と、支配拠点として築城が開始されたのが、「大坂城」です。

〈大坂城:Wikimedia Commons〉
現在の大坂城は日本で一番大きい城です。
〈1584年 4月 小牧・長久手の戦い〉
「賤ヶ岳の戦い」を経て「羽柴秀吉」に一番不満を持っていたのが、次男の「織田信雄」です。

〈織田信雄:Wikimedia Commons〉
「賤ヶ岳の戦い」で「柴田勝家」から奪った土地を恩賞として、家臣に分配していたからです。
この時点で権力は「羽柴秀吉」が実質的に握っていたのです。
調子に乗る「羽柴秀吉」打倒を掲げる「織田信雄」に、「徳川家康」や「佐々成正」、「後北条氏」など多くの者が味方しました。
「小牧・長久手の戦い」勃発です。

〈小牧・長久手の戦い:Wikimedia Commons〉
「小牧・長久手の戦い」は全国を巻き込む戦いに発展します。
徳川軍は羽柴軍の主力である「池田恒興」や「森長可」などを打ち取り、戦況を有利に進めていきます。

〈池田恒興:Wikimedia Commons〉

〈森長可:Wikimedia Commons〉
最終的に「織田信雄」が「羽柴秀吉」と勝手に和睦した事により、「小牧・長久手の戦い」は幕を閉じました。(織田信雄、勝手すぎますよね)
「羽柴秀吉」は「徳川家康」に対し、「自分の妹を徳川家康の息子に嫁がせる」・「自分の母を人質に出す」など、あらゆる策を講じて服従させました。
〈1585年 羽柴秀吉 関白就任〉
「羽柴秀吉」が一番コンプレックスに感じていた事は、出自の低さです。
実際九州の島津氏からは、「農民出身の羽柴殿に手紙を出すのは有り得ない」とまで言われていました。
「関白」に就任する事で、自分の権威を高めようとしたと考えられています。
出自は変えられないので、自分の役職を上げる事に注力します。
関白になれるのは「藤原氏」の血筋だけと決まっているので、「二条家」の養子となり関白就任を実現しました。(二条家は藤原氏の分家です)
天下統一の総仕上げ
「小牧・長久手の戦い」の後、各地の大名を従わせる為に戦いを仕掛けます。
〈1585年 四国征伐〉
10万人以上の大軍勢を四国の各方面から進行させ、次々に城を落としていきます。
「長宗我部元親」を降伏させ、四国を手中に収めました。

〈長宗我部元親:Wikimedia Commons〉
〈1585年 10月 九州に惣無事令〉
「惣無事令(そうぶじれい)」=「豊臣秀吉が大名間の私闘を禁じた法令」を指します。
「豊臣秀吉」は無駄な争いを終わらせる為に、戦闘を禁止しました。
九州には有力な大名が多い為、まずは命令を出すのです。
従えばそれで良いし、従わない場合は徹底的に潰すのが、「豊臣秀吉」のやり方です。
〈1586年 羽柴秀吉 太政大臣就任〉
「後陽成天皇」から太政大臣に任命されました。

〈後陽成天皇:Wikimedia Commons〉
農民上がりの人間が、遂に公家の中で最高の役職を手に入れました。
この時に「豊臣」の姓も天皇から賜りました。
以後、「豊臣秀吉」と名乗るようになります。
〈1587年 九州征伐〉
惣無事令に従わない島津家を潰す為に、九州征伐が始まります。
「仙谷秀久」や服属させた「長宗我部元親」を九州に派遣しました。

〈仙谷秀久:Wikimedia Commons〉
しかし「戸次川の戦い」で豊臣軍はボロ負けしました。
島津家は異常に強いのです。
しかし「豊臣秀吉」は20万もの大軍勢を九州に差し向け、圧倒的兵力で押し切ります。
最終的に「島津義久」を降伏させ、九州を手中に収めました。

〈島津義久:Wikimedia Commons〉
〈1590年 小田原征伐〉
神奈川県の小田原では「豊臣秀吉」に従わない「北条氏政」がいました。

〈北条氏政:Wikimedia Commons〉
小田原征伐で「北条氏政」を自害に追い込み、「北条早雲」から続いた「後北条氏」は滅亡しました。
〈1590年 奥州平定〉:天下統一の完成
小田原征伐を受けて、東北地方の「伊達政宗」が服属してきました。

〈伊達政宗:Wikimedia Commons〉
応仁の乱から続く戦国乱世を終わりを迎え、全国統一を成し遂げました。
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