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【軍部大臣現役武官制復活!】盧溝橋事件と日中戦争の始まり

皆さんこんにちは!

今回は盧溝橋事件と日中戦争の始まりを解説します!

日本に悪魔の法律が復活し、軍部の意向が更に強まりました。

内閣が安定しない最中に近衛文麿が登場し、うまくバランスを取ってくれるかのように思われました。

しかし彼の登場により、日本を泥沼の戦争へと足を踏み入れる事になります。

第二次世界大戦の前哨戦・日中戦争の経緯を詳しく見ていきます!

↓前回の内容はこちらをご覧ください!!↓

広田弘毅 内閣

二・二六事件により、「岡田内閣」内閣が総辞職しました。

〈岡田啓介:Wikimedia Commons〉

後任には岡田内閣で外務大臣を務めていた「広田弘毅」が選ばれました。

〈広田弘毅:Wikimedia Commons〉

〈1936年 5月18日 軍部大臣現役武官制 復活〉

悪魔の法律が復活してしまいました。

復活の内容は

軍部大臣(陸軍大臣・海軍大臣)の就任資格を現役の大将・中将に限定する

でしたね。

↓初めて制定された時を復習したい方は、こちらをご覧ください!!↓

軍部大臣現役武官制によって、第二次西園寺公望内閣が倒された事を覚えているでしょうか?

今回復活した事により、軍部の意向が強く反映される内閣しか運営出来なくなりました。

筆者が思うに日本の歴代の法律で、一番民主主義を破壊する内容だと思います。

〈1936年 11月25日 日独防共協定〉

経緯

日本は国際社会で孤立し始めており、同じく孤立していたドイツと接近します。

当時ドイツを率いているのは、「アドルフ・ヒトラー」です。

〈アドルフ・ヒトラー:Wikimedia Commons〉

1935年に「再軍備宣言」を行い、一方的にヴェルサイユ条約を破棄しました。

同時に国際連盟も脱退し、国際社会で孤立していました。

ドイツ国内では

第一次世界大戦に負けたのは、共産主義の考え方をする奴らがドイツを裏切った

という噂が広まっていました。

共産主義思想を敵対視するドイツと、天皇制を維持したい日本の思惑が合致し、条約締結に至りました。

結果

「共」=「共産党」

を指しています。

共産主義の拡大を防ぐのが、第一の目的です。

秘密協定として、

ソ連を仮想敵国とする

という項目も決められています。


外寇でも内政でも、明らかに軍部の意向が強まっています。

こうなると流石に政党も黙っていません。

軍部やり過ぎと非難が始まり、政党と軍部が険悪になります。

「広田弘毅」は政党と軍部の板挟み状態となり、総辞職となりました。

宇垣一成 内閣:未成立

天皇から組閣の大命を受けて総理大臣に選出されました。

元老は軍部の暴走を抑えたかったので、内閣の方針に協力的な「宇垣一成」を天皇に推挙したのです。

〈宇垣一成:Wikimedia Commons〉

しかしここで陸軍の邪魔が入ります。

陸軍大臣の選出を拒否したのです。

陸軍大臣を選出する為には、「陸軍大臣」・「参謀総長」・「教育総監」の三名から、賛同を得る必要があります。

賛同を得ることが出来ず、組閣に失敗してしまいました。

拒否した理由は?

「宇垣一成」は「加藤高明」内閣の際に、軍縮を行った人物です。

〈加藤高明:Wikimedia Commons〉

憲政会は協調外交を展開する政党なので、国際社会に合わせての行動でした。

しかし陸軍からしたら、軍縮は面白くありませんよね。

軍事費に予算を回してくれそうな大臣がいいので、組閣を邪魔したのです。

林銑十郎 内閣

「宇垣一成」の代わりに内閣を組織したのが、「林銑十郎」です。

〈林銑十郎:Wikimedia Commons〉

特に覚える内容はありません。

引き続き政党と軍部の板挟み状態となり、内閣を纏められず総辞職となりました。

政権が安定しない中、窮地を救ってくれそうな人物が総理大臣になります。

第1次 近衛文麿 内閣

昭和時代を語る上で絶対に外せない「近衛文麿」の登場です。

〈近衛文麿:Wikimedia Commons〉

「近衛」という苗字は、平安時代に君臨した「藤原氏」の流れを汲む一族です。

〈藤原道長:Wikimedia Commons〉

高貴な身分でありながら40代と政治家の中では若く、軍隊出身ではないので汚職の心配がない、まさに国民が求めているような人物像です。

国民からの期待は超高かったそうです。

〈1937年 7月7日 盧溝橋事件〉:北支事変の発端

中華民国北京市の西南付近で、日中両軍が衝突しました。

〈北京市:Wikimedia Commons〉

実際に衝突した場所は、盧溝橋という場所です。

1900年の義和団事件によって結ばれた北京議定書により、日本は北京に軍隊を置く権利を得ていました。

北京の盧溝橋付近の河原で日本軍が夜間に演習を行っていました。

〈盧溝橋:Wikimedia Commons〉

中国側から日本軍に対し実弾が撃ち込まれ、日本が反撃する形で戦闘が始まりましす。

小規模な戦闘が続きましたが、9日には停戦となりました。

「近衛文麿」は不拡大方針を採り、戦闘継続を回避しました。


「事変」という名称は、「宣戦布告」をしていない時に使われる言葉です。

銃弾が急に飛んできて戦闘が始まったので、「事変」という名称を使います。

中国は英語で「China」と書くので、「シナ」と呼ばれる事があります。(南シナ海とかが分かりやすい例です)

盧溝橋事件は中国の北付近で発生したので、「北支事変」と呼ばれています。

〈1937年 7月9日 大山事件〉

全然知られていない事件とは思いますが、発生した事に意味がある事件です。

事件の内容は

海軍の幹部が、中華民国軍に殺害された

です。

殺害された理由をざっくり言うと、立入禁止区域に日本軍が侵入したか否かです。

この事件をキッカケに中華民国への不信感が一気に高まりました。

軍の圧力に押され、「近衛文麿」も不拡大方針を廃止します。

〈1937年 8月13日 第二次上海事変〉:支那事変(=日中戦争)に突入

「近衛文麿」は

南京政府の反省を促す

と声明を発表しました。

目的は当然、「「大山事件の仕返し」です。

徹底的に叩くことで、抗日運動の鎮圧も視野に入っています。

中華民国も当然反発し、停戦していた両国が再び衝突します。

〈第二次上海事変でガスマスクを着用する日本軍:Wikimedia Commons〉

今回は上海で衝突し、戦線が南下してきています。

〈上海市:Wikimedia Commons〉

最早中国の北側ではなく、中国全土で戦闘になっています。

「北支事変」は「支那事変」へと拡大しているのです。

盧溝橋事件の際にも記述しましたが、今回の戦いは宣戦布告をしていないので、「支那事変」が正しい名称です。

しかし「日中戦争」の方が馴染み深いと思うので、今回を機にどちらも覚えてしまいましょう!

↓第一次上海事変はこちらで確認できます!!↓

〈1937年 11月6日 日独伊三国防共協定〉

日独防共協定にイタリアが参加しました。

イタリアは「ベニート・ムッソリーニ」が率いています。

〈ベニート・ムッソリーニ:Wikimedia Commons〉

1935年にイタリアはエチオピアに侵攻し、国際社会から孤立しました。

〈エチオピア:Wikimedia Commons〉

イタリアもドイツと同じく独裁国家になったので、共産主義思想が広まっては困ります。

日独と思惑が合致し、参加しました。

日本国内ではソ連と敵対し攻め込む、「北進論」が活発化します。

〈1937年 12月13日 〜 1938年 3月28日 南京事件〉:南京(首都)占領

中国軍と全面戦争を繰り広げながら、遂に首都の占領に成功します。

しかしここで事件が発生します。

日本軍が南京市で、一般人に対する略奪・放火・強姦等を行ったと言われています。

〈南京事件の犠牲者:Wikimedia Commons〉

推定される犠牲者数は約10万人から20万人までと、現在は見積もられています。

当初日本は首都が陥落すれば、中華民国は降伏すると見込んでいました。

しかし「蒋介石」率いる国民政府は「重慶」に拠点を移し、日本軍に徹底抗戦する姿勢を貫きます。

〈重慶市:Wikimedia Commons〉

こうして日中戦争は泥沼の戦いに突入するのです。

〈1938年 1月16日 第一次近衛声明〉

「近衛文麿」が3度に渡り声明を出し、今回は1回目です。

第1回目の内容は

「国民政府を対手(あいて)とせず」

です。

南京を占領した日本は、「オスカー・トラウトマン」駐華ドイツ大使に、国民政府との和平の仲介を依頼していました。

〈オスカー・トラウトマン:Wikimedia Commons〉

しかし国民政府は徹底抗戦の姿勢で、日本に応じる事はありません。

日本は和平の道を捨てて、徹底的に殲滅する方針に切り替えました。

その第一歩が第一次近衛声明です。

〈1938年 4月1日 国家総動員法〉

日中戦争の長期化による、国家総力戦が目的です。

どんどん移り変わる戦局に対応する為です。

政府は議会の承認無しに、天皇の勅命で物資や人員を補充できるようなりました。

基本的に天皇は意見しません。(天皇に責任になったら困るので)

実質的に国民の以降を無視して、戦争可能になってしまいました。

〈1938年 7月29日 〜 8月11日 張鼓峰事件〉

あまり知られていない事件です。

満洲国東南端の張鼓峰で、ソ連と国境紛争が起きました。

〈張鼓峰を守備する日本軍将兵:Wikimedia Commons〉

日本側は戦死526名・負傷者914名の損害を出した、かなりの激戦となりました。

結果として、日本はボロ負けします。

高度に機械化されたソ連の軍隊に、圧倒されてしまいました。

〈1938年 11月3日 第二次近衛声明〉:東亜新秩序声明

長期化する戦争の目的は

日本・満州・中国による「東亜新秩序の建設」

と声明を発表しました。

アジアは欧米列強にどんどん植民地化されています。

「欧米の植民地政策から解放し、新しい東アジアを創る」と宣言したのです。

間接的に欧米に喧嘩を売った声明でもあり、国民に戦争の意義を伝える意義もありました。

〈1938年 12月22日 第三次近衛声明〉:近衛三原則

3回目の声明では、中国和平における3つの方針が示されました。

「善隣友好、共同防共、経済提携」

の3つです。

内容は割とそのままで、

「仲良く、共産主義を排しながら、経済連携しましょう」です。

欧米列強に対抗する為、アジアでの連携を強固にしようという思惑があります。


次第に孤立を深める日本に対し、アメリカが段々と圧力を加えます。

石油輸出の制限が日本にとって非常に痛く、アメリカと戦争するか外交で何とかするか決断を迫られます。

陸軍大臣・海軍大臣と何度も話し合いをしましたが纏まらず、戦争には自信が無いとして近衛内閣は総辞職しました。

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