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今回の和歌
93番 鎌倉右大臣(かまくらうだいじん) 『新勅撰集』羈旅・525
世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)漕ぐ
海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも

〈画像:Wikimedia Commons〉
現代語訳
現代語訳
世の中が、いつまでも変わらず平穏であってほしいものだなあ。
渚を漕ぐ海人(あま)の小舟の綱手が、切なく思われることよ。
語句解説
【世の中は】
人間の生活や世の中のありさま。
ここでは「平穏であってほしい」という対象です。
【常にもがもな】
「常に」= 形容動詞「常なり」の連用形、「ずっと変わらない」という意味。
「もがも」= 難しいことが叶ってほしいという願望の終助詞。
「な」は詠嘆の終助詞。
「いつも変わらずあってほしいなあ」という願望を表す表現です。
【渚(なぎさ)漕ぐ】
「渚」= 海岸や川辺の水際のこと。
今回は海人が小舟を操る様子を描写。
【海人(あま)の小舟(をぶね)の綱手(つなで)】
「海人(あま)」= 漁師や海で働く人。
「綱手(つなで)」= 舟の先に立てた棒に結びつける綱。
【かなしも】
「かなし」=「切ない、心にしみる」という意味。
「も」は詠嘆を表す終助詞。
舟の綱手を見て心がしみじみ悲しくなる様子を表す。
作者: 鎌倉右大臣(源 実朝)
源 実朝(みなもとの さねとも)〈1192年 ~ 1219年〉
〈画像:Wikimedia Commons〉
鎌倉幕府・第3代将軍で、幼名は「千幡(せんまん)」です。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就任しました。
成長するにつれ政治に興味を持ち始めましたが、執権を務める北条氏に抑え込まれ、いつしか和歌に没頭するようになります。
彼は和歌の創作に優れ、『金槐和歌集』という自らの歌集を編纂しており、武家としては珍しく、宮廷和歌の伝統を受け継ぎに力を入れました。
「金槐和歌集」の「金」は「鎌倉」を、「槐」は「大臣」を表しています。
題材は恋愛や自然、人生の無常など多岐にわたり、簡潔で明快な表現の中に深い情感を込める作風が特徴です。
また、時の天皇であった「後鳥羽天皇」に対して、「貴方に背く心は無い」という内容の和歌を詠んだ、印象深い人物でもあります。
↓後鳥羽天皇について解説しています、こちらもご覧ください!!↓
1219年甥にあたる公暁によって暗殺され、享年32歳という短い生涯を閉じました。
「公暁」は兄・頼家の息子で、暗殺理由は「頼家が実朝が将軍に就任する時の邪魔者にされて消されたから」です。
ある時家臣の「大江広元」に、官位に執着しすぎと諫められました。
すると実朝は、「私で源氏に血筋は途絶えるだろうから、後世に名を遺す為、少しでも官位を上げておきたい」と言ったそうです。
彼は最早、将軍は不要だと気付いていたのでしょうね。
鑑賞:儚い世の中、望む平穏🛶
一見すると漁の光景という日常的な情景を詠んでいるようでありながら、その背後には人間の心の儚さや世の無常感が深く潜んでいる点に魅力がある一首です。
冒頭の「世の中は 常にもがもな」という願望表現は、平穏無事でありたいという人間の切なる希望を端的に示し、現実の不確かさや移ろいやすさも暗示しています。
彼が生きた不安定な世の中を、投影しているようにも見えます。
「渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも」では、海人が小舟を漕ぐ様子や、その綱手の動きに目を留めることで、表面には現れない心の切なさや、世の中の無常感が象徴的に表現されています。
源実朝の歌は簡潔でありながら情感豊かで、自然の情景を通して人間の願いや孤独、儚さを象徴的に描き出す作品が多い印象です。
彼の人生の儚さと、努力しても変えられない運命への諦めが、間接的に感じられる切ない内容です。
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