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今回の和歌
68番 三条院(さんじょういん) 『後拾遺集』雑1・860
心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな

〈画像:Wikimedia Commons〉
現代語訳
現代語訳
辛いこの世を、望んでもいないのに生きながらえているとしたら、
きっとこの夜中の月が、恋しく思い出させることでしょう。
語句解説
【心にもあらで】
「自分の本意ではなく」という意味。
「心」= 「本心で」、「に」は断定の助動詞「なり」の連体形、「で」は打消の接続助詞。
本心では早くこの世を去りたいと思っている作者の苦悩を表しています。
【うき世】
辛く苦しい世の中。
人生の辛さ・儚さを指すことが多い。
ここでは「生きることがつらい現世」の意。
【ながらへば】
「生き長らえているならば」という仮定の意味を表します。
下二段動詞「ながらふ」の未然形に接続助詞「ば」で、「もし〜ならば」という順接の仮定条件を表します。
【恋しかるべき】
「恋しく思われるに違いない」という意味。
「べき」は未来への推量を表す助動詞。
【夜半(よは)の月かな】
「夜半(よは)」は夜中や夜更けの事で、「夜半の月」= 静寂の中にあり、過去や恋の記憶を呼び起こす象徴的な存在。
「かな」は詠嘆の終助詞です。
作者: 三条院
三条天皇(さんじょうてんのう)〈976年 ~ 1017年〉
〈画像:Wikimedia Commons〉
第67代天皇で、在位は1011年から1016年までです。
父は冷泉天皇、母は藤原超子(ちょうし)という、皇統と藤原家の血筋を引いた人物で、諱(いみな)は居貞親王(おきさだしんのう)と言います。
幼い頃から学問や文学に親しみ、特に和歌・漢詩・書道に優れていた教養人であり、文人としても知られます。
しかし、彼の人生は波乱に満ちていました。
若くして即位したものの、視力の病を患って次第に失明に至り、在位わずか5年で譲位させられ、譲位の翌年には崩御しています。
表向きは病気の退位の迫られましたが、裏では藤原道長が前天皇である一条天皇と彼の娘・彰子(しょうし)との子供(後一条天皇)を即位させようと企んでいました。
圧倒的な権力を誇る藤原氏に、当時の天皇達は為す術が無く、今回の和歌も譲位を決断した時に詠まれた歌です。
三条院の和歌には、病苦や人生の無常感、孤独が表れており、人生に深く苦悩した一人の人間の心の叫びとも取れる、非常に深い情感が漂っています。
鑑賞:死にたくても死ねない、権力闘争の先に🌖
病に伏しながらも生きながらえてしまった作者が、ふと目にした夜半の月に深い想いを寄せた一首です。
「心にもあらで」とは、自分の本意ではない、望んでいたわけではないという意味であり、そこには「できればこの世を去りたかったのに、そうもいかずに生きている」という諦念が滲み出ています。
そんな中「恋しかるべき夜半の月」に出会ってしまい、人生に対する否定的な思いと、美しいものに心を動かされる感受性が作者の中で交錯します。
「夜半の月」は古くから、孤独や切なさ、人生の無常を象徴する存在でもあり、その情景と心情がぴたりと重なり合っています。
そこには、生きているがゆえの哀しみと、逃れられない人間の情感があります。
つまりこの和歌は、死への憧れと生きることの美しさの狭間で揺れ動く、深く静かな嘆きの歌なのです。
静寂の中で輝く月の姿が、読む者の胸にも染み入り、作者の孤独と苦悩が時を超えて伝わってくる名歌です。
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