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今回の和歌
63番 左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ) 『後拾遺集』恋・750
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな

〈画像:Wikimedia Commons〉
現代語訳
現代語訳
今はもう、あなたへの想いをすっぱりと断ち切ろうと思っている気持ちを、
誰かの口を借りずに、あなたに直接伝えられたらいいのに。
語句解説
【今はただ】
「もう今となってはただ」という意味。
切羽詰まった状況での決意の語り出しです。
【思ひ絶えなむ】
「思ひ絶え」=動詞「思ひ絶ゆ」の連用形で、「想いをあきらめてしまおう」という意味。
「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形で、「む」は意志の助動詞の終止形。
係助詞の「なむ」ではないので注意。
【とばかりを】
「と」は引用の格助詞、「ばかり」は限定の意味の副助詞。
今回は、「ということ(=思いを断つこと)だけを」という意味になります。
【人づてならで】
「誰かを介してではなく、直接」という意味で、現在も使われている言葉です。
「で」は打消の接続助詞です。
【言ふよしもがな】
「よし」「由」と書き、「方法」や「手段」を表します。
「伝える手段があればいいのに」という意味。
「〜もがな」は願望を表す終助詞です。
作者: 左京大夫道雅
藤原道雅(ふじわらのみちまさ)〈992年 ~ 1054年〉
平安時代中期の貴族で、本名は藤原道雅と言います。
父は藤原頼宗、祖父は藤原道長です。
↓藤原道長について解説しています、こちらもご覧ください!!↓
彼は朝廷に仕えた人物で、「左京大夫」という官職名を名乗っており、これは当時の都の左京を管理する役職です。
政治的な功績よりも、彼が後世に名を残したのは、恋愛と和歌にまつわる逸話によるものです。
特に、同時代の女流歌人である小式部内侍との恋が知られており、その想いは叶わなかったとされています。
↓小式部内侍の和歌について解説しています、こちらもご覧ください!!↓
この恋の挫折が、彼の詠んだ繊細で哀愁を帯びた和歌に色濃く表れていると言われています。
勅撰和歌集にもその作品が選ばれており、まっすぐで切実な心情表現に長けた歌人として評価されています。
恋に悩み、思いを伝えられずにいるような不器用さや誠実さは、現代の私たちにも共感を呼び起こすものです。
高貴な家柄に生まれながらも、感情豊かな人間らしさを持った人物であった事が伺えます。
鑑賞:恋の諦め、直接伝えることも出来ない💔
自分の恋心を断ち切ろうとしている切ない心情を、深く訴えかける一首です。
「もう忘れよう」と決意しているにも関わらず、その決意すら直接相手に伝えられないというもどかしさが胸に迫ってきます。
「人づてならで」「言ふよしもがな」という表現に込められた思いは強く、誰かを介するのではなく、自分の口から直接伝えたいという願いが込められています。
しかし、そうした機会も手段もない。だからこそ、断ち切るしかない。
恋の終わりに伴う痛みと、潔い諦めが同時に感じられ、非常に奥深い余韻を残します。
また、強い想いを語りながらも、最後を「もがな」という詠嘆で表現されている為、読者の心にそっと染み込むような、控えめで誠実な印象を受けます。
叶わぬ想いを抱えながら、それでも相手を責めず、自分の心の整理を優先する姿は、今も昔も変わらぬ人の優しさと弱さを映し出しています。
〈当時の貴族社会の恋愛マナー〉
平安時代の貴族社会では、恋愛は非常に繊細で、礼儀を重んじるものでした。
特に女性に対して直接的な物言いをするのは「無礼」「無作法」とされることも多く、恋の始まりも終わりも、手紙や和歌に託してやりとりするのが基本でした。
つまり、例え恋を終わらせる場面であっても、「直接会ってはっきり言う」のは、むしろ相手への配慮を欠いた行為と受け取られる可能性があったのです。
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