【百人一首解説】NO.53  右大将道綱母

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今回の和歌

歎きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る

〈画像:Wikimedia Commons〉

現代語訳

現代語訳

嘆きながら一人で寝る夜が明けるまでの時間が、

どれほど長く感じられるものか、あなたにはきっとわからないでしょう。

語句解説

【歎きつつ(なげきつつ)】

「歎く(悲しむ、つらく思う)」の連用形。

「つつ」は動作や作用の反復(繰り返し)を表す接続助詞。

【ひとり寝る夜の】

「寝る」=動詞「寝(ぬ)」の連体形。

当時は男性が女性の家に夜中に通う習慣がありました。

作者は女性なので、夫が自分の家に訪れず、一人寂しく寝るという意味です。

【明くる間は】

「夜が明けるまでの間は」という意味。

「明くる」= 動詞「明く」の連体形。

【いかに久しきものとかは知る】

「いかに」=「どれほど」「どのように」など、程度や様子をたずねる副詞。

今回は「どんなに~だろうか」と問いかける言い方になっています。

「久しき」= 形容詞「久し」の連体形で、「長く感じる」という意味。

「かは」は反語表現の係助詞で、「〜など(わかるはずがない)」のような意味を含みます。

「知る」=動詞「知る」の連体形で、「かは」と係り結びの関係になっています。

作者: 右大将道綱母(藤原道綱母)

藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)〈936年 ~ 995年〉

〈画像:Wikimedia Commons〉

平安時代中期の女性で、別名は藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)です。

本名は分かっていません。

「蜻蛉日記(かげろうにっき)」の作者として知られ、自身の心情や日常を綴ったその日記文学は、後の文学にも大きな影響を与えました。

藤原兼家(ふじわらのかねいえ)との間に藤原道綱(みちつな)という子をもうけますが、正妻ではなく側室という立場でした。

藤原兼家の関心が他の女性に向いた事により、孤独や不安、愛されない苦しみを感じるようになり、それが「蜻蛉日記」の随所に表れています。

自立した視点で感情を言葉にしていくその筆致は、当時の女性の内面を生々しく伝えており、女性文学の先駆けとも言える存在です。

彼女の書いた作品は、貴族社会における女性の生きづらさや、家庭内の地位、恋愛関係の現実などを描いており、その内容は現代にも通じる共感を呼び起こします。

日記文学を通して、平安女性の心の声を私たちに届けてくれる、非常に貴重な文学者の一人です。

鑑賞:一人寂しく待つ夜、貴方には分からない🌙

孤独な夜のつらさと、それを誰にも理解して貰えない寂しさを訴えている一首です。

作者は嘆きながら一人で過ごす夜の長さを身にしみて感じており、その時間がどれほど苦しく長く感じられるものかを、この和歌に込めています。

「歎きつつ」「ひとり寝ぬる」「明くる間は」といった言葉の流れにより、夜の長さと孤独が広がっていくような感覚があります。

「いかに久しきものとかは知る」という結びでは、その孤独を誰にも理解してもらえない切なさが反語で表現され、心の奥に残る余韻を生み出しています。

旦那に対して「分かってもらえない女性の苦しみ」を非常に繊細に表しており、千年以上たった現代でも共感を呼ぶ力を持っています。

静かな語り口の中に、深い感情の波が隠されている、味わい深い一首です。

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