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今回の和歌
23番 大江千里(おおえのちさと) 『古今集』秋上・193
月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど

〈画像:Wikimedia Commons〉
現代語訳
現代語訳
月を見ていると様々な思いがこみ上げて、何とも言えず悲しくなる。
この秋は私一人だけに訪れた秋ではないのに。
語句解説
【月見れば】
「月を見ていると」の意味。
「見れば」=「見る」、「ば」=「〜と、〜ので」などの順接の意味。
自然や風景を見て感情が動く、典型的な和歌の導入。
【ちぢに(千々に)】
「さまざまに」「いろいろに」という意味。
「多くの思いが入り乱れている」状態を表す。
感情の多様さや複雑さを強調。
【ものこそ】
「もの」=「もの思い・感情・心の中の出来事」。
「こそ」は強調の係助詞で、「〜こそ〜けれ」の形で逆接の構文をつくる。
「本当に〜だなぁ」という気持ちを込めた言い方。
【悲しけれ】
「悲しい」の形容詞の已然形(けれ)で、係り結びにより「こそ」の結び。
感情を強く表す表現で、「悲しいことだなぁ」としみじみ感じている事を表す。
【わが身一つの】
「私一人だけの」という意味。
【秋にはあらねど】
「秋ではないのに」の意味。
「には」は強調。
「あらねど」は「ある(存在する)」の否定形「あらず」に接続助詞「ど(〜けれども)」がついた形で、「〜ではないけれども」という逆接の表現。
作者: 大江千里
大江千里(おおえのちさと)〈? ~ 912年頃〉
〈画像:Wikimedia Commons〉
平安時代前期の歌人・漢詩人で、学者としても活躍した人物です。
大江氏という学問の家系に生まれ、祖父や父も漢学の教養人でした。
その為千里も若い頃から中国の古典に親しみ、漢詩や漢文の素養を持っていました。
その一方で和歌の世界でも頭角を現し、『古今和歌集』に16首が入集するなど、当時の有力な歌人の一人とされています。
政治的な地位はそれほど高くはなかったものの、文人として宮廷文化に深く関わり、貴族たちと親交を持っていました。
また、彼は感受性の鋭い歌を詠むことで知られ、特に自然の風景と心情を重ねた叙情的な作風が高く評価されています。
和漢両道に通じた数少ない人物で、学者としての知性と歌人としての感性を兼ね備えた才人でした。
そのバランスの取れた教養と表現力が、現代でも注目される理由です。
鑑賞:寂しさや悲しさ、秋だからこそ🎑
秋の月を見た時にふと心に湧き上がる、理由のハッキリしない寂しさや悲しさを詠んだものです。
月は古来より「ものの哀れ」を呼び起こす象徴的な存在とされており、作者もまたその月を見て、思わず感情がこみ上げたのでしょう。
特に印象的なのは、「わが身一つの秋にはあらねど(=自分ひとりの秋ではないのに)」という表現です。
これは自分だけが悲しいのではないと知りつつ、それでも悲しさが込み上げてくるという、人間の孤独と感情の奥深さを描いています。
「分かっていても心は寂しい」というどうしようもない情感に焦点が当たっており、その繊細さがこの歌の魅力なのです。
また、季節が秋であることも重要です。
秋は収穫の季節であると同時に、物事の終わりや移ろいを連想させる季節です。
そうした自然の変化と、自身の心情とが重なり合い、「ちぢに(=いろいろに)」悲しさが込み上げてくるという表現に結びついています。
理屈では説明しきれない感情の揺らぎを見事に捉えたもので、静かに心を揺さぶる余韻を残す作品です。
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