【百人一首解説】NO.20  元良親王

百人一首

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今回の和歌

わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

〈画像:Wikimedia Commons〉

現代語訳

現代語訳

つらくて悩み苦しんできた今となっては、もうどうなっても同じことだ。

例え自分の身を滅ぼす事になっても、あなたに逢おうと思うのです。

語句解説

【わびぬれば】

「わびぬ」は、動詞「わぶ(侘ぶ)」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の已然形。

「わぶ」は、「つらい・どうしようもない・悩む・困る」という意味。

「〜ぬれば」は「〜してしまったので」の意。

「つらくなってしまったので」「もう悩みぬいたので」の意味になる。

【今はた同じ】

「今は」=「今となっては」の意味。

「た」=「は」に添える強調語。「はた」は「また」「さらに」のようなニュアンスをもつ。

全体で「結局は同じことだ」という意味。

【難波なる】

「難波(なには)」= 現在の大阪湾付近。

古くから和歌に詠まれる「歌枕」。

「なる」= 存在を表す係助詞。

「〜にある」という意味。

【みをつくして(澪標・身を尽くして)】

「澪標(みをつくし)」= 難波の海に立てられた水路の標識。

〈画像:Wikimedia Commons〉

和歌では「難波」とセットで詠まれる定番の言葉。

同時に「身を尽くし(=自分のすべてを捧げ、命をかける)」という意味も掛けられている。

【逢はむとぞ思ふ】

「逢はむ」= 動詞「逢ふ」の未然形+意志の助動詞「む」。

「と」= 引用の格助詞。「〜と(思う)」

「ぞ」= 強調の係助詞。

「逢おうと思っている」という強い意志の表明。

作者:元良親王

元良親王(もとよししんのう)不詳~913年

平安時代前期の皇族であり、第55代文徳天皇の皇子です。

元良親王はその高貴な身分だけでなく、和歌の才能にも恵まれており、『古今和歌集』をはじめとする勅撰和歌集に多くの歌を残しています。

『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『金葉和歌集』など、後代の勅撰集にも断続的に歌が収録されており、時代を超えて彼の歌が評価され続けていた証拠でもあります。

彼の歌は、貴族らしい優雅さと、恋や人の情に深く踏み込む率直な感情表現が特徴です。

特に恋の歌では、恋の苦しみや迷いや覚悟といった深い内面を、巧みな掛詞や比喩で表現する力量が光ります。

また、彼の恋愛遍歴は数多くの女性と関係があったとも言われており、その情熱的な性格が歌に出ていると考えられています。

『大和物語』などには、彼と女性たちとの恋にまつわる逸話も収められており、「王朝のプレイボーイ」的存在として語られることもある人物です。

鑑賞:諦めと開き直り、報われぬ恋💔

この歌は報われぬ恋に苦しみ抜いた末の、恋人への強い決意を詠んだ情熱的な一首です。

「わびぬれば」は、「わびる(つらく思う、落ち込む)」の完了形であり、恋に悩みもはや心がすり減るほどに苦しんできた事を表しています。

そして「今はた同じ」は、「ここまで来てしまえばもうどうなっても同じだ」という、ある種の諦めや開き直りの気持ちが表れています。

後半では悲しみに押し潰されそうでも、なお恋人に逢いたいという思いが強く語られています。

「難波なる みをつくして」は、「難波(なには)に立つ澪標(みおつくし)」と「身を尽くす=自分を犠牲にする」という掛詞が使われており、技巧の中に彼の真実の思いが見て取れます。

「例え自分がどうなろうとも、すべてをかけてあなたに逢いたい」という強い情熱が、しっとりとした表現の中から熱を持って伝わってくるのです。

このように心の極限を淡々と詠みながら、強い印象を残すのが元良親王の歌の魅力であり、千年前の恋の情熱が、今なお鮮やかに響いてくる一首なのです。

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