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今回の和歌
17番 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん) 『古今集』恋・559
住の江の 岸による波 よるさへや
夢の通ひ路(ぢ) 人目(ひとめ)よくらむ

〈画像:Wikimedia Commons〉
現代語訳
現代語訳
住の江の岸に打ち寄せる波のように、夜にさえ夢に来てくれないのは、
私の夢の中の通い道まで、人目を避けているからなのでしょうか。
語句解説
【住の江(すみのえ)】
大阪湾の一部にある風光明媚な場所。
和歌ではよく詠まれる名所。
静かな海辺のイメージが背景にあります。
【岸に寄る波(きしによるなみ)】
海辺に打ち寄せてくる波のこと。
波が「寄る」のと、「夜(よる)」を掛けている。
恋人に「寄る」こと、つまり「会いに来ること」の象徴でもある。
【よるさへや(よるさえや)】
「さえ」=「〜でさえ」「〜までも」という強調・追加の意味の副助詞。
「や」=疑問や詠嘆を表す係助詞。「〜だろうか」「〜かしら」といった意味。
「夜さえも…だろうか」という意味。
【夢の通ひ路(ゆめのかよいじ)】
夢の中で恋人に逢うための通い道。平安時代の和歌で頻出する表現。
現実では会えなくても、夢の中でなら…という切ない希望を表す。
【人目よくらむ(ひとめよくらん)】
「人目」は他人の目、世間の視線。
「よく」は「避ける」という意味の動詞「避く(よく)」の連用形。
「らむ」は推量の助動詞。「〜しているのだろう」
作者: 藤原敏行
藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)〈不詳~901年〉
〈画像:Wikimedia Commons〉
平安時代前期の歌人・貴族であり、藤原家の出身です。
政治的な出世にはあまり恵まれなかったものの、和歌の分野で高い評価を受けました。
彼の歌は、『古今和歌集』や『後撰和歌集』などの勅撰和歌集に数多く採られており、特に『古今和歌集』では15首も収録されている事から、当時の歌壇において確かな地位を築いていた事が分かります。
また藤原敏行には自選の家集である『敏行集(としゆきしゅう)』もあり、これは個人の和歌集としては比較的早い時期に成立したものの一つです。
この点からも、彼が「私的な感情を歌に込める」という平安和歌の流れの先駆者的存在であった事が伺えます。
彼の歌風は、繊細で抒情的、そしてどこか素朴で人間味があるのが特徴です。
派手な技巧には頼らず、心情を自然な語り口で詠むスタイルで、多くの共感を呼びました。
恋の歌においては会えない切なさや胸の奥の寂しさを、装飾を抑えてまっすぐに表現します。
後世、敏行は三十六歌仙の一人としても選ばれ、「和歌の模範的存在」として尊敬され続けました。
鑑賞:実らぬ恋、夢の中まで💭
この和歌は、恋人に逢いたくても逢えない切なさを、夢の中でさえ姿を見せてくれない事に託して詠んだ、非常にしみじみとした恋の歌です。
「住の江の岸に寄る波」は、静かに打ち寄せる波の描写であると同時に、「寄る」と「夜(よる)」をかける言葉遊びがなされています。
現実では人目を憚って(はばかって)会えない恋人が、せめて夢の中では会いに来てくれるだろうと、作者は期待しています。
しかし、夜になってもその夢の中にすら現れてくれない——その事実に、驚きと寂しさ、そして少しの恨みが込められています。
特に「夢の通ひ路 人目よくらむ」という結句では「夢の中でさえ人目を気にして避けているのではないか」と、詠み手が思い悩む姿が浮かびます。
現実と夢の境界さえも越えて会えないという状況が、恋の苦しみの深さを物語っています。
この歌の美しさは表現があくまでも控えめで、感情を押しつけずに滲ませる点にあります。
静けさの中に燃えるような思いが秘められており、読む者の胸を打ちます。
自然の情景と心の動きが巧みに重ねられ、和歌ならではの繊細な感情表現が堪能できる一首です。
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