皆さんこんにちは、パルです!
今日は弥生時代を扱います!
何かとスルーされがちな弥生時代ですが、日本史に与える影響は絶大です。
ひとつひとつを確実に抑えていきましょう!
そもそも弥生時代とは?
約紀元前300年ごろから紀元後250年ごろまで弥生時代は続きました。
まだこの当時の日本には文字が無いので、残された遺物から何となくで時代区分をしています。
弥生時代は、縄文時代に比べて生活が大きく変わりました。
縄文時代の人々は、狩りや漁をして自然の中で暮らしていましたが、弥生時代になると「農業」が始まったのです。
特に大きな変化が「米づくり」。中国や朝鮮半島から伝わった稲作が始まったことで、食べ物を安定して手に入れることができるようになりました。
弥生時代の特徴
・弥生人の暮らし
弥生時代の人たちは、米を育てるために水田を作りました。農業にはたくさんの人手が必要だったので、みんなで協力して作業をするようになり、村が発展し大規模な集落が出現しました。
また縄文時代の竪穴住居に似た住まいもあり、農作業に便利な場所に集落が作られ、規模が大きくなっていきました。
・ 弥生土器と道具の進化
縄文時代に比べて、弥生時代の土器はシンプルなデザインで、薄くて軽く、米を炊いたり保存したりするのに便利でした。これを弥生土器(下の写真)といいます。

また、金属器も登場しました。鉄でできた「鉄器」は農具や武器に使われ、青銅で作られた銅鐸(どうたく)(下の写真)などの祭り用の道具も作られました。これにより、農業や戦い、祭りなど、人々の生活がどんどん進化していきました。

・格差と争いの時代
村と村の間で争いが起きることもありました。農業によって食べ物がたくさん手に入るようになると、それを巡って豪族と呼ばれる力のある人たちが現れました。
有名な遺跡として吉野ヶ里遺跡(下の写真)があります。これは現在の佐賀県にある大きなムラの跡で、物見やぐらや堀(ほり)で囲まれた、防衛のための仕組みも見つかっています。つまり、争いが増えてきた時代でもあって、食料を巡って争いが頻発したんだ。

5. 邪馬台国と卑弥呼
弥生時代の終わりごろ、中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に、「邪馬台国(やまたいこく)」という国と、その女王「卑弥呼(下の写真)」のことが書かれている。

卑弥呼は、神の声を聞いて国を治める巫女(みこ)として人々から信頼されていたんだけど、邪馬台国の場所については、今でも九州説と近畿説があり、はっきりとは分かっていないんだよね。
中学の日本史だと卑弥呼は日本史で出てくる最初の人物だから、しっかりと抑えよう!
最後に
お疲れ様!弥生時代どーだったかな?
弥生時代は、日本の社会が大きく変わった時代で、農業のはじまり、道具の進化、争いや国づくりなど、現代の日本に続く「国家の土台」ができた時代とも言える大切な時代なんだ。
当時の生活を想像しながら勉強できると、楽しく思えるんじゃないかな?
次回は古墳時代を扱います!
では次の授業で~