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【松方財政】農民による自由民権運動と激化事件

皆さんこんにちは、パルです!

今回は自由民権運動第二弾・農民民権のついて解説します!

前回は士族民権・豪農民権を解説しました。

今回は普通の農民達が生活の困窮に耐えられずに、政府に抵抗するダイナミックな内容になっています。

前回からの流れを抑えながら、国会開設に向けての運動を確かめていきましょう!

↓士族民権・豪農民権の復習をしたい方は、こちらをご覧ください!↓

農民民権の始まり

〈1881年~1891年 松方財政 開始〉:圧倒的な緊縮財政

1881年に明治14年の政変が起こり、大隈重信が伊藤博文に政府を辞めさせられました。

大隈重信は当時の大蔵卿(お金担当)を務めていましたが辞任したので、後任には松方正義(下の写真)という人物が選ばれました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

1868年の戊辰戦争で不換紙幣を大量に発行して、世間は物価が上昇するインフレーションが発生していました。

不換紙幣とは「金や銀」と交換する事が出来ない紙幣を指します。

逆に「金や銀」と交換する事が出来る紙幣を「兌換(だかん)紙幣」と言います。

当時の日本は金も銀も少ししか保有していなかった為、不換紙幣を流通させていました。

不換紙幣の良いところは「金や銀の保有量」などの制限を気にすることなく紙幣を発行できるため、武器や食料の調達にお金がかかる戦争に際し、政府は大量にお金を発行したという事です。

加えて、不平士族の反乱が立て続けに発生し、西南戦争(下の写真)で大量の不換紙幣を発効した為、物価も急速に上昇する超インフレーション状態に突入しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

現時点ではお金を大量に発行した為、お金の価値が下がり、相対的に物の価値が上がっているという状態です。

このインフレーションを手っ取り早く解決する方法は「増税」です。

税金を上げる事で、世間に出回っているお金を回収し処分してしまえば、お金の価値は相対的に上昇するからです。

松方正義は新たに「たばこ税」・「酒造税」を新設し、不換紙幣を回収して燃やしデフレーションを目指しました。

これだけ聞くと当然の政策の様に思えますが、この裏で苦しんでいる人物がいます。

それが農民です。

デフレーションになるという事は、物の価値が下がるという事です。

そして農民達の収入源と言えば、「お米」です。

しかしお米の価値が下がったので収入も減少し、生活が極限まで困窮しました。

江戸時代ならばその年に取れた量に応じて、税金(年貢)も変動していましたが、地租改正によって、毎年地価の3%という固定の税金を支払わなければいけない為、生きていけない人も出てきます。

〈画像:Wikimedia Commons〉

追い詰められて自殺した者、子供を殺した者、行方をくらませた者などが大量に発生しました。

この極限状況を打開するために、農民は暴動を起こします。

これから説明する全国各地の農民の暴動を「激化事件」と総称しています。

〈1882年 4月 岐阜事件〉:板垣狙撃事件

岐阜事件の前、板垣退助と後藤象二郎(下の写真)はフランスを外遊していました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

政府の井上馨(いのうえかおる)(下の写真)という人物が、板垣と後藤に「お金を援助するから、フランスに行ってくれば?」と提案しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

井上馨の狙いは、この2人を海外に行かせる事で、自由民権運動を下火にさせる事が狙いです。

この提案に2人はフランスに行く事になりました。

2人がフランスを外遊している間に、日本では松方財政が本格化し、市民がデフレーションで困窮していました。

そんな中2人が帰国し、板垣は「フランス良かったぁ」と演説しています。

それにブチぎれた自由民権派が板垣を狙撃した事件が、岐阜事件です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

この時に有名な「板垣死すとも自由は死せず」という言葉が広がりました。

〈1882年 11月 福島事件〉

福島県令の「三島通庸」が、土木工事などを市民に労役を課し、強制でやらせていました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

具体的には「三方道路」の建設に従事させていました。

福島自由党(自由党の地方支部)の県会議長である「河野広中」を中心とする2000名が、蜂起する事件を起こしました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

弾正ヶ原(喜多方市)に集結し、警察署などを襲撃しました。

〈1883年 3月 高田事件〉

自由党員の「赤井景韶(かげあき)」が中心となり、大臣を暗殺しようとした事件です。

〈1884年 9月 加波山事件〉

栃木県令の「三島通庸」(福島県令から交代させられた)が、栃木県民に対し圧政を行っていました。

耐えられなくなった栃木県民が、暗殺計画を立てた事件です。

茨城県の加波山という山で蜂起しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

各地で自由党の支部が暴走しているのを受け、翌月なんと自由党はここで一旦解散となりました。

〈1884年 10月 秩父事件〉

松方財政により、埼玉県秩父地方の「養蚕(ようさん)農家」が困窮していました。

農民達は「困民党(借金党)」という組織を作り、生活苦から脱却する為に、椋神社(むくじんじゃ)で蜂起しました。

高利貸しや役所などを襲撃し、政府は東京鎮台の兵士を送り鎮圧しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

〈1884年 11月 大阪事件〉

自由党の「大井憲太郎」と、女性民権運動家の「影山英子」が朝鮮に渡り、独立党政権の再建を企てるというとんでもない事件です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

因みに「影山英子」は「わらわの半生涯」という本を出しています。

〈画像:Wikimedia Commons〉

事件の結果としては、速攻でバレて逮捕されました。

日本国内で自由民権は無理だと考えた2人が朝鮮で自由民権運動を展開し、それを日本に持ち帰り圧力をかける事により、自由民権を達成しようとする凄まじい計画です。

当時朝鮮では「甲申事変」が発生しており、親日派が劣勢なのを受けて、加勢しようと考えていたのでした。

〈1884年 12月 飯田事件〉

長野で起きた激化事件で、秩父事件に呼応して起こりました。

旧自由党員である「村松愛蔵」を中心とするメンバーが、政府転覆を計画しました。

火薬の搬入から発覚した事件で、松村愛蔵は内乱陰謀罪で処罰されました。

〈1886年 6月 静岡事件〉

最後の激化事件です。

徳川慶喜を擁立し、江戸時代に戻そうという、とんでもない計画です。

静岡には「徳川慶喜」と、後継者である「徳川家達(下の写真)」の本拠地です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

デフレーションでミカンが売れず明治政府に不満を持った人々が、江戸時代に戻そうと考えました。

旧自由党員による政府高官暗殺未遂事件です。

自由民権派再集結

〈1886年 大同団結運動〉:民権派再集結

「星亨(ほしとおる)(下の写真)」が提唱し、「後藤象二郎」が継承しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

1891年の国会開設に向けて、反政府の立場から民権派の再集結を促しました。

星亨は「それぞれの考え方は少しずつ違うかもしれないが、国会開いて皆で話し合う事が大事だろ!!」と呼び掛けて、民権派が一致団結するように行動を始めました。

しかしこの運動も、1889年に後藤象二郎が政府に引き抜かれた事により下火になり、弾圧されました。

〈1887年 三大事件建白運動〉:片岡健吉の建白

1886年に「ノルマントン号事件」が発生しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

簡単にいうと、遭難した舟の船長がイギリス人を優先して助け、日本人が大勢死んだという事件です。

しかし当時は領事裁判権が日本に無かった為、海外の法律で船長は裁かれ、大した処罰受けませんでした。

この事件を政府批判に使いながら、片岡健吉が三大建白を政府の元老院に提出しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

三大建白の内容は「地租軽減」、「言論の自由(讒謗律・新聞紙条例の解除)」、「外交失策の挽回(ノルマントン号事件の裁判やり直し)」です。

〈1887年 保安条例〉:政府の国会開設前の最終弾圧

「山形有朋(やまがたありとも)」という内務卿と、「三島通庸」(また出てきましたね(笑))が自由民権派を三年間、皇居外から三里まで追放するという超絶強硬策に出ました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

国会が開設されると、政府が自由に政策を通せなくなるので、残りの3年間で出来るだけ政府に有利な政策を無理やり通すのが狙いです。(好き勝手やってますね)

追放の対象者は「片岡健吉(立志社)」、「星亨(大同団結運動)」、「中江兆民(日本のルソーと言われた民権派、下の写真)」、「尾崎行雄(立憲改進党)」など、570人に上りました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

次回は政府の立場から、国会開設を見ていきます!

受験生の方へ

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それが日本史一問一答です。

 

 日本史一問一答【完全版】3rd edition [ 金谷 俊一郎 ]

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以下が実際の例題です。

日蓮は[★★]教が仏法の正しい教えである事を悟り、

[]を唱える事によって救われると説いた。

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例題の答えは、★★=法華、=題目、となります。

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自分が受ける大学の難易度に合わせて、勉強量を調節できる書籍なので、受験勉強のゴールを知る為にも、一回は目を通して欲しいです。

早めに対策した者が受験勉強を制します。

さぁ、日本史を楽しみましょう!

 

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