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【文化史シリーズ#1】飛鳥時代 ― 飛鳥文化のポイント解説

皆さんこんにちは、パルです!

今回から日本史の文化史シリーズを始めようと思います!

私自身日本史が大好きでしたが、文化史だけは点数が取れず、伸び悩んでいた時期があります。

この記事に辿り着いた方も、もしかしたら同じ悩みを持っているのでないでしょうか?

文化を知ると当時の流行が掴め、火t人の生活や想いを想像しやすくなります。

受験やテストにもバッチリ出るので、焦らず一歩ずつ味わいましょう!

飛鳥文化とは?

時期・担い手・中心地・背景

飛鳥文化の最盛期は、6世紀後半〜7世紀前半です。

特に推古天皇の時代を中心に発展しました。

〈推古天皇:Wikimedia Commons〉

文化形成の担い手は、「王族・豪族・渡来人」です。

その名の通り、現在の奈良県の「飛鳥地方」が中心地です。

大和政権の支配が確立し、「渡来人・遣隋使」を通じた大陸との交流により、政治機構や仏教が伝わった事がキッカケです。

特色

  • 日本で最初に本格化した仏教文化
  • 仏教伝来(538年説/552年説)をきっかけに、寺院・仏像が盛んに造られる。
  • 朝鮮半島(百済)から僧や工人が来日し、新技術が導入された。(建築様式)
  • 中国南北朝・百済・高句麗の影響や、西アジア・インド・ギリシャ文化などの共通性も見られる。

建築

仏教の伝来に伴い、建築や彫刻の文化が日本に伝わりました。

これまでの権力の象徴は古墳でしたが、取って代わるように寺院が建てられました。

法隆寺・四天王寺・飛鳥寺(法興寺)が、飛鳥文化を代表する寺院です。

順番に見ていきましょう!

法隆寺(斑鳩寺)

〈金堂と五重塔:Wikimedia Commons〉

法隆寺は別名で「斑鳩寺(いかるがでら)」と言います。

建立者は聖徳太子(厩戸王)です。

〈聖徳太子(厩戸王):Wikimedia Commons〉

聖徳太子の父・用明(ようめい)天皇の為に建立したと伝わっています。

〈用明天皇:Wikimedia Commons〉

670年に焼失しましたが、その後再建されました。

「世界最古の木造建築」としてユネスコ世界遺産に登録されています。

お寺を勉強する際は、「伽藍配置(がらんはいち)」を気にして欲しいです。

「伽藍配置」とは、「仏教寺院の建物の並び方・配置の仕方」 を指します。

伽藍をどう並べるかで、寺院の特徴や時代背景が分かります。

法隆寺は、金堂と五重塔が横に並んだ伽藍配置です。

A:中門 B:回廊 C:金堂 D:五重塔 E:講堂 F:経蔵 G:鐘楼

伽藍を囲んでいる建物を「回廊」と言います。

法隆寺の回廊は円柱が並んでおり、おおらかな雰囲気があります。

〈法隆寺回廊:Wikimedia Commons〉

四天王寺

〈金堂と五重塔:Wikimedia Commons〉

建立者は聖徳太子(厩戸王)です。

593年、物部守屋との戦いである「丁未の乱」で仏教を祈願し勝利し、その功徳に感謝して建立しました。

↓丁未の乱について解説しています、こちらもご覧ください!!↓

聖徳太子と言うと政治家の印象が強いかもしれませんが、割と戦争に参加しています。

仏教を広める拠点であり、宗派を超えた開かれた寺としても知られています。

四天王寺は、金堂と五重塔が縦に並んだ伽藍配置です。

〈画像:四天王寺HP〉

赤色を基調として建物で、威厳を感じますね。

〈四天王寺回廊:Wikimedia Commons〉

飛鳥寺(法興寺)

〈画像:Wikimedia Commons〉

建立者は「蘇我馬子」で、596年に完成しました。

〈蘇我馬子:Wikimedia Commons〉

蘇我氏が自らの権力を誇示する為に建てた寺です。

日本最初の本格的仏教寺院と言われています。

四天王寺と同じく、物部守屋との戦いである「丁未の乱」の後に建立されました。

飛鳥寺は、五重塔を囲むように金堂が存在する伽藍配置です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

彫刻

お寺と言えば、安置されている仏像が有名ですよね。

仏像と一括りにしがちですが、その作り方や表現には様々な工夫が凝らされています。

飛鳥文化の代表的な2つの表現方法を、写真を使って見比べていきます。

北魏様式:鞍作鳥(くらつくりいのとり)の一派

鞍作鳥は渡来人です。

北魏様式の特徴は下の通りです。

①杏仁形の目(まぶたの上下が同じような弧を描いている)

②仰月形の唇(三日月を上向きにしたように、口の両端を引き上げているもの)

③左右対称の幾何学文様衣文

代表作を確認していきましょう!

法隆寺金堂釈迦三尊像

〈画像:Wikimedia Commons〉

聖徳太子の菩提を弔うため、その一族や諸臣の発願により623年に作られました。

法隆寺夢殿救世観音像(ほうりゅうじゆめどのくぜかんのんぞう)

この像の特徴は、楠木という一本の木が削られて作られている点です。

聖徳太子の等身大の像と言われています!!

非常に興味深い像なのです。

飛鳥寺釈迦如来像

〈画像:Wikimedia Commons〉

鞍作鳥の最古の作と言われています。

完成は606年と609年、2つの説があります。

百済・中国南朝様式:非鞍作鳥派

百済・中国南朝様式の特徴は下の通りです。

①顔や姿など、全体的に丸みを帯びている

②衣文にも変化があり、自然の姿に近い

代表作を確認していきましょう!

法隆寺百済観音像

〈画像:Wikimedia Commons〉

法隆寺夢殿救世観音像と同じく、楠木という一本の木が削られて作られています。

全体的に丸みを帯びています。(最初は全然見分けつかないと思います)

中宮寺半跏思惟像(はんかしゆいぞう)

〈画像:中宮寺公式HP〉

顔立ちの優美さ、体つきの柔らかさが特徴です。

「半跏思惟」とは、仏像のポーズの一つで、

  • 片足だけを反対側の太ももの上にのせて組む(半跏)
  • 片手(多くは右手)を頬にあてて、何かを考えているような姿勢(思惟)

を組み合わせた仏像を指します。

弥勒菩薩半跏思惟像

〈画像:Wikimedia Commons〉

赤松という一本の木が削られて作られています。

しなやかな指や、表情など全体的に柔らかさがあります。

余談ですが北魏様式・百済・中国南朝様式問わず、仏様の優しい笑顔を「アルカリックスマイル」と言います。

工芸・美術

玉虫厨子(法隆寺)

〈画像:Wikimedia Commons〉

「厨子」は、仏像や経典を収める戸棚を指します。

装飾に玉虫の羽を用いた事が、名前の由来になっています。

光の当たり具合で、緑や紫に輝く神秘的な効果を狙ったと言われています。(虫の苦手な方がいるので写真は載せませんが、玉虫の美しい羽を見てみて下さい)

玉虫厨子の最大の特徴は、側面に描かれた仏教説話図です。(以下の特徴は、流し読みで結構です)

  • 捨身飼虎図(しゃしんしこず)
    • 飢えた母虎に自分の体を捧げて食べさせるシーン。
    • 自己犠牲と慈悲の精神を象徴する物語。
  • 舎利供養図(しゃりくようず)
    • 仏舎利(釈迦の遺骨)を供養する様子。
  • 施身聞偈図(せしんもんげず)
    • 経典を学び、仏法のために身を犠牲にする姿を描く。

いずれも「自己犠牲」「慈悲」「仏への信仰」をテーマとし、飛鳥文化における仏教思想を象徴しています。

中宮寺天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)

〈画像:Wikimedia Commons〉

刺繍による仏教絵画です。(絵ではなく布に針で縫い描いたもの)

麻布に色糸で刺繍をしています。

聖徳太子の奥さんである「橘大郎女(たちばな の おおいらつめ)」が、聖徳太子が亡くなった後に往生する「天寿国」を渡来人に描かせたものです。

法隆寺四騎狩文様錦(しきししかりもんきん)

〈画像:東京国立博物館〉

ササン朝ペルシャの文化に見られる円形の連続文様で、4頭の獅子と4騎の狩猟者を表現しています。

狩猟者の顔は日本人ではなく、ペルシャ風です。

学生の方へ

大学受験を迎えるに当たって、絶対に外せない書籍があります。

それが日本史一問一答です。

 

 日本史一問一答【完全版】3rd edition [ 金谷 俊一郎 ]

今まで多くの日本史一問一答に目を通してきましたが、ダントツで使いやすいのが東進ブックス出版の一問一答です。

最難関大学にもバッチリ対応できる問題量で、共通テストの対策も勿論万全です。

以下が実際の例題です。

日蓮は[★★]教が仏法の正しい教えである事を悟り、

[]を唱える事によって救われると説いた。

文章が虫食い形式になっており、虫食いの[]の中に星1〜3が書かれていて、一目で単語の重要度分かります。

例題の答えは、★★=法華、=題目、となります。

私立大学にしろ、国公立大学にしろ、日本史受験をするなら絶対に必要になる書籍です。

学校のクラスを見渡すと、既に持っている人もいるのではないでしょうか。

自分が受ける大学の難易度に合わせて、勉強量を調節できる書籍なので、受験勉強のゴールを知る為にも、一回は目を通して欲しいです。

早めに対策した者が受験勉強を制します。

さぁ、日本史を楽しみましょう!

 

 日本史一問一答【完全版】3rd edition [ 金谷 俊一郎 ]

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