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【天安門事件とは?】タブー扱いの理由と戦車の写真の謎を分かりやすく解説!

1989年、中国の首都・北京で天安門事件(てんあんもんじけん)が発生しました。

中国政府が民主化を求める学生や市民のデモを軍隊で鎮圧した事件です。

中国の歴史の中でも非常に重要な出来事ですが、現在の中国では事件について話すこと自体がタブーとされています。

更に、この事件を象徴する有名な写真があります。

それが戦車の前に立つ一人の男性の写真(タンクマン)です。

この記事では

  • 天安門事件とは何か
  • なぜデモが起きたのか
  • 事件はどのように終わったのか
  • なぜ中国でタブーになっているのか
  • 有名な「戦車の写真」の謎

を初心者にも分かりやすく解説します。

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中国という国の政治体制

天安門事件を理解する為には、中国という国の特徴を抑える必要があります。

共産主義と中国社会の衰退

天安門事件の背景には、中国の国家体制に着目する必要があります。

1949年、「毛沢東」が中華人民共和国を建国し総書記に就任して以来、共産党が独裁政治を行っています。

〈毛沢東:Wikimedia Commons〉

共産党が政権を握っているので、当然共産主義の経済政策が行われてきました。

共産主義とは、簡単に言えば

  • 財産を個人ではなく国家が管理する
  • 貧富の差をなくす
  • 国民が平等に生活する

という思想です。

しかし単刀直入に言って、共産主義は全く上手く機能しません。

理由は簡単で、頑張って働いてもサボっても給料が同じだからです。

国民が造った物を平等に分配するシステムなので、どれだけサボっても皆を同じ給料が貰えるのです。

当然皆サボり始め、国が急速に衰えていきました。

大躍進政策の失敗

1958年、「毛沢東」は中国を急速に発展させる為に、大躍進政策(だいやくしんせいさく)という経済政策を行いました。

大躍進政策は超簡単に説明すると

  • 鉄鋼生産を急激に増やす

生産目標が設定されました。

鉄鋼と言えば、インフラや運送・軍事や車など、あらゆる場面で使用されます。

日本も第二次世界大戦後には、鉄鋼業に資金を大量に投資する事で、高度経済成長の足掛かりとしました。

しかし、大躍進政策は「毛沢東」の独裁で進められます。

ろくに鉄鋼の知識もないのに、他国に技術のノウハウを教えてもらう訳でもなく、「鉄を作れ」と中国全土に命令が行き渡ります。

下の写真は農家に作られた、鉄を作る炉です。

〈農家に作られた、鉄を作る炉:Wikimedia Commons〉

結果的に生産された1117万トンの鉄の内、60%は使い物にならないくず鉄にしかなりませんでした。

更に本来農業に従事するはずの人員も鉄生産に動員された為、農業も崩壊し大規模な飢饉が発生しました。

この結果、数千万が餓死したとされています。

大躍進政策は大失敗に終わったのです。

流石に「毛沢東」に対する不満が殺到しました。

文化大革命による社会の混乱

1966年、「毛沢東」は権力を取り戻すために文化大革命を始めました。

簡単に言うと「資本主義的な思想を持つ人を排除する運動」です。

文化大革命では

  • 知識人
  • 教師
  • 政治家

など多くの人々が批判され、迫害されました。

「毛沢東」を批判する奴らは、「教養がある頭の良い人たち」なので、歯向かうものは全員処刑する事にしました。

これが独裁国家のヤバい一面でよね。

学校や大学も閉鎖され、中国社会は大きく混乱しました。

文化大革命は約10年間続き、中国の経済と社会に大きなダメージを与えました。

民主化への動き

鄧小平の改革開放政策

1976年、毛沢東が亡くなると、中国の新しい指導者となったのが「鄧小平(とうしょうへい)」です。

〈鄧小平:Wikimedia Commons〉

「鄧小平」は共産主義経済が上手くいかなかったことを認め、改革開放政策を始めました。

この政策では

  • 市場経済の導入
  • 外国企業の受け入れ
  • 民間経済の拡大

などが行われ、中国経済は急速に成長し始めます。

まずは経済を民主化し、衰退する国力にメスを入れたのです。

胡耀邦の民主化政策と挫折

「鄧小平」が病死した後の後任は、改革派の政治家「胡耀邦(こようほう)」でした。

〈胡耀邦:Wikimedia Commons〉

当時、共産主義のボス的存在であったソ連が、民主化に舵を切りました。

連続する政策の失敗と増大する社会の不満の中で、学生達はソ連のように

  • 言論の自由
  • 報道の自由
  • 政治改革

を求めるようになります。

「胡耀邦」は民主化に理解を示していた為、民主化政策を打ち出しました。

しかし共産党内部では民主化を反対する声が根強く、共産党内の保守派から批判されまくります。

そして遂に、1987年に総書記を辞任させられてしまいます。

1989年に「胡耀邦」が亡くなると、彼を追悼するために100万人以上の市民や学生が、天安門広場に集まりました。

この追悼集会が、やがて中国史上最大級の民主化運動へと発展していくのです。

天安門事件

天安門広場

天安門事件は、1989年6月4日に中国の北京の天安門広場で発生しました。

まずは北京の位置を確認しましょう!

〈北京:Wikimedia Commons〉

先述の通り、民主化を求める学生や市民が、北京の中心にある天安門広場で大規模なデモを行いました。

天安門広場の写真を確認しましょう。

〈天安門広場:Wikimedia Commons〉

世界文化遺産に登録されており、多くの観光客が訪れています。

天安門の中央には、中国の建国者「毛沢東」の肖像画が設置されています。

中国にとって大切な場所で、大量に「武装警備隊」が配置されています。

〈毛沢東の肖像画と武装警備隊:Wikimedia Commons〉

現在も変わらず、中国を象徴する場所なのです。

天安門広場の大規模デモ

1989年に「胡耀邦」が亡くなると、彼を追悼するために1万人以上の市民や学生が、天安門広場に集まりました。

そして「胡耀邦」が掲げた民主化政策を実施するよう、デモが発生します。

〈初期のデモの様子:Wikimedia Commons〉

共産党は勿論要求を突っぱねて、状況は平行線を辿ります。

中国でデモが盛り上がりを見せる中、ソ連の民主化を進めた「ゴルバチョフ」が中国に訪問してくる事になりました。

〈ゴルバチョフ:Wikimedia Commons〉

デモ隊にとっては超激熱展開です。

「ゴルバチョフ」は共産主義だったソ連を民主化させた訳ですから、デモ隊にとっては英雄的存在です。

「ゴルバチョフ」の来訪を知った人々は結束を固め、約100万人の人々が

  • ハンガーストライキ
  • 座り込み

などを行い、中国政府に対する政治改革が過熱します。

〈デモの様子:Wikimedia Commons〉

この様子は世界中のメディアでも報道されました。

世界中の国々がデモ隊を支持し、共産党のメンツは丸潰れです。

こうして共産党は強硬策を発動します。

なんと「中国人民解放軍」という中国共産党の軍隊を出動させて、デモを武力で鎮圧し始めたのです。

〈中国人民解放軍:Wikimedia Commons〉

デモ隊も必死に応戦しますが、民間人の武装と、百戦錬磨の「中国人民解放軍」では圧倒的に戦力差があります。

そして遂に運命の日がやってきます。

6月3日午後9時、装甲車が一斉に天安門広場に進撃を開始。
この装甲車は道にバリケードを築いていたデモ隊と武力衝突し、デモ隊に多数の死者が出た。加藤は発砲した弾に当たって倒れる女性を目撃している。
デモ隊も火炎瓶で応戦し、装甲車が次々に炎上。デモ隊は炎上した装甲車から飛び出す人民解放軍を殴りつけ、撲殺した兵士に油を付けて燃やし、歩道橋から兵士の死体をぶら下げるなどした。

悲惨な戦いには戦車も導入され、圧倒的武力でデモ隊を蹴散らします。

〈中国人民解放軍の戦車:Wikimedia Commons〉

戦いの結果、多くの死傷者が出ました。

中国政府は正確な数字を発表していませんが、死者数は一万人を超えているとされています。

有名な「戦車の写真」とは?

天安門事件を象徴する有名な写真があります。

戦車の前に立つ一人の男性の写真です。

写真には

  • 戦車の列
  • その前に立つ一人の男性

が写っています。

写真の状況は、デモを鎮圧する中国人民解放軍の戦車の前に1人の若者が飛び出して、戦車の進路方向の前に立ち、その戦車の走行を阻止しようとした場面です。

この人物は世界中で「無名の反逆者」「タンクマン(Tank Man – 戦車男)」と呼ばれています。

更に

  • その後どうなったのか
  • 生きているのか

も不明です。

因みに、「服装が政府側の人物のように見え、戦車が人を轢かないことをアピールする為の、自作自演の中国政府の行動」と分析する方々もいます。

何がともあれ、この写真は「個人が権力に立ち向かう象徴」として、世界中で知られています。

天安門事件でデモ隊が鎮圧されて以降、中国共産党の監視が一層厳しくなり、人々の抵抗運動は鎮静化されてしまいました。

なぜ天安門事件は中国でタブーなのか

現在の中国では、天安門事件について話すことは殆ど出来ません。

理由は上記で説明してきたように、中国政府にとって天安門事件が政治的に非常に都合の悪い出来事だからです。

中国では

  • インターネット検閲
  • 検索規制

などが行われています。

中国国内では基本的に、グーグルやLine、YouTubeなど、海外のアプリは一切使えません。

代わりに中国版のアプリが開発されていますが、それらのアプリは全て中国共産党が検閲しています。

中国共産党を批判するような内容は即刻削除され、書き込んだ人は逮捕されます。

まさに独裁国家であり、天安門事件をキッカケに中国の独裁が一気に加速してしまったのです。

天安門事件は現在の中国を形成した、ターニングポイントとなる事件なのです。

まとめ

天安門事件とは、1989年に中国・北京で起きた民主化デモの鎮圧事件です。

学生や市民が政治改革を求めて天安門広場に集まりましたが、中国政府は軍隊を使って武力で鎮圧しました。

また、この事件を象徴する「戦車の前に立つ男性の写真(タンクマン)」は、現在でも世界中で知られています。

しかし中国では政治的な理由からタブー扱いとなっており、自由に語ることが出来ないテーマになっています。

そのため天安門事件は、現代中国の成立を理解する上で非常に重要な歴史事件と言えます。

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