こんにちは、パルです!
今回は平安時代の天才、最澄と空海について扱います!
中学でも高校の日本史でも習うこの二人ですが、興味ない人は暗記が大変でしょう。(笑)
二人の興味深いエピソードを交えながら、勉強していきましょう!
そもそもいつの時代の人?
最澄〈767~822〉、空海〈774~835〉でいずれも平安時代に活躍した人なんだ。
この二人は奈良時代に流行した仏教を刷新する為に、平安時代の超重要人物、桓武天皇の命令で遣唐使に乗り、唐(中国)に仏教の勉強をしに行った経歴を持っている。
ここで復習!そもそもなんで、仏教を刷新する必要があったのか?
奈良時代の超重要人物、聖武天皇が仏教の力で国を治める事を決めたんだけど、そうすると仏教ガチ勢のお坊さんたちが、政治に口を出すようになってきた。朝廷の役人達も仏教を信仰するようになっていたから、お坊さん達に歯向かう事が出来なくなっていたんだよね。
それに嫌気がさした桓武天皇は、政治に口出ししてこない、ちゃんと修行するような仏教を求めたんだ。そこで派遣されたのが、最澄と空海だった。
最澄のプロフィール

最澄(伝教大師)〈767~822〉
始めた宗派:天台宗
中心のお寺:比叡山延暦寺(滋賀県)
考え方:すべての人に仏になれる可能性がある
著作:顕戒論(高校で習う)
最初空海と仲良ったが、喧嘩して絶縁状態に(笑)
最澄は唐から帰国した後、天台宗を開いた。天台宗は、一部の人だけではなく、全員が仏になれる。その為に毎日仏教の修行をしましょう!という考え方。比叡山に延暦寺を建立し、拠点にした。
空海のプロフィール

空海(弘法大師)〈774~835〉弘法筆を選ばずの弘法は空海のこと
始めた宗派:真言宗
中心のお寺:高野山金剛峰寺(和歌山県)
考え方:生きたまま仏になれる
著作:三教指帰(高校で習う) 仏教は儒教・道教より優れている
最澄の弟子が空海の元に勉強に行くと、魅力的すぎて帰ってこなかったと伝わっている。
最澄は唐から帰国した後、真言宗を開いた。空海は死後の世界を期待してもしょうがない。生きている内にご利益があるからこそ意味があるという考えの元、真言宗を始めた。天台宗と同様、毎日修行する事がいいとされ、真言宗では、空海が今も高野山で修行していると信じられている。また真言宗では、師匠から弟子に直接仏教の教えを説くのが基本とされ、この考え方を密教という。
二人の影響
新しい仏教の時代を切り拓いた二人の功績はすさまじく、桓武天皇の思い通り奈良時代までの仏教を抑え込んだ。事実、平安京と平城京を見比べると、明らかに平安京の方がお寺の数が少ない。天台宗と真言宗はどちらも日々の修行を基本としていたため、山籠もりや滝行などをするので、政治に口を出す暇がない教えだったのが強く影響している。
二人の天才が残した教えは人気を博し、戦国時代では天台宗が織田信長の前に立ちはだかるのだが、それは戦国時代のお楽しみに!。
最後に
お疲れ様!
最澄と空海がなぜ現れたのか、それまでの経緯が分かると仏教の流れの理解が深まる。
そしてこの二人の教えが鎌倉時代の仏教に強く影響を与えている。
次回は鎌倉時代の仏教について学んでいきましょう!
それでは~
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