皆さんこんにちは、パルです!
今回は平安時代中期のスーパースター藤原氏について解説していきます!
藤原氏は、日本の歴史の中でとても大きな力を持っていた貴族の一族で、
なぜ天皇よりも権力を握ったのかが分かれば、高校に入っても得意な時代として得点源に出来ます。
藤原氏が権力が握る過程を詳しく見ていきましょう!
平安時代初期を知りたい方は、こちらをご覧ください!
藤原氏のはじまり
まずは一旦復習です。藤原氏はそもそもいつから登場したのか?

〈画像:Wikimedia Commons〉
藤原氏の祖先は、「中臣鎌足(上の写真)」という人物です。
彼は飛鳥時代、中大兄皇子(天智天皇)と協力して大化の改新を行い、政治を天皇中心に戻す改革をしました。
天智天皇から功績が認められ、中臣鎌足は「藤原(ふじわら)」の姓を与えられました。
これが藤原氏の始まりです。
どうやって勢力を伸ばしたのか?
結論から言うと、藤原氏が平安時代に力をつけた理由は、「娘を天皇の妃(奥さん)にする」作戦です。
これによって生まれた子どもが天皇になれば、おじいちゃんとして大きな力を持つことができます。
この作戦を「外戚」と言います。
「外」というのは天皇家の血筋では無い事、「戚」は親戚から来ており、藤原氏という天皇の血筋では無い者が、娘を天皇の妃にする事で、間接的に親戚になったという事を表しています。
結婚に加えて、天皇と藤原氏の女性から子供が生まれると、その子供を幼いながら天皇に即位させます。
勿論幼い子供に政治を執らせるのは無理なので、藤原氏が「摂政」や「関白」という役職について政治を代行し、自分たちに都合の良い政策を推し進めて行きました。
この政治の事を「摂関政治(せっかんせいじ)」といいます。
補足として「摂政」は天皇が未成年や女性の場合に置かれる役職で「関白」は成人した天皇の補佐というのが、主な仕事の内容です。
このようにして政治の中心に近づき、自分の一族の地位を高めていきました。
藤原氏の全盛期を築いた人物:藤原道長

〈画像:Wikimedia Commons〉
藤原氏の中でも特に有名なのが、藤原道長(上の写真)です。
彼はなんと娘3人を天皇の妃にして、自分の孫を天皇にする事に成功しました。
まさに「天皇の親戚」として政治を思いのままにしたのです。
1016年に道長は「摂政」に就任し、権力基盤を強固にすると、その後「内覧」という天皇が考えた文書をチェックできるという役職を手に入れ、最高権力者として君臨しました。
彼が「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ歌は、自分の力の大きさを表す有名な和歌です。
日本語訳は「この世は私の物だと思う、満月のように欠けている所が無いように思えるから」
ナルシスト極まりないですが、誰も逆らえない程に権力を手にしていた事が、この和歌から伝わってきますね。
藤原氏が衰退した理由
藤原氏が権力を失ってしまった原因は、外戚関係が途切れてしまったからです。

〈画像:Wikimedia Commons〉
道長の息子、藤原頼通(上の写真)は子供に恵まれず、天皇に自分の娘を結婚させることができませんでした。

〈画像:Wikimedia Commons〉
外戚関係が久しぶりに途切れた天皇である後三条天皇(上の写真)は、息子の白河天皇に位を譲り、上皇(天皇の位を譲った人)として天皇をコントロールする事で、藤原氏を排除しました。
この天皇を上皇がコントロール仕組みの事を、上皇が住んでいた所を「院」と呼んでいたので、「院政」と言います。
こうして政治の中心は、貴族から上皇へと変化し、新たな時代の幕開けとなりました。
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