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【レーニンの登場!】第一次世界大戦とロシア革命!

皆さんこんにちは!

今回は第一次世界大戦とロシア革命を解説します!

第一次世界大戦の真っ只中に起きたロシア革命は、世界に影響を与えました。

日本とロシア革命の関係に注目しながら、歴史を見ていきましょう!

↓第一次世界大戦本編はこちら解説しています!!↓

ロシア革命

〈1917年 2月 二月革命〉

経緯

ロシア帝国では長らく皇帝が国を治める、独裁が敷かれていました。

イギリスやフランスも「エリザベス一世」や「ルイ14世」などの王様がトップで国を治めていました。

第一次世界大戦がヨーロッパで勃発すると、ロシア帝国も否応なく戦争に巻き込まれます。

戦時中も皇帝は贅沢な生活を送っていますが、国民は度重なる増税・戦死者の増加や食料不足で生活の維持が困難になっていました。

ロシア帝国の国民の怒りが爆発し、革命にまで発展します。

二月革命の始まりです。

〈二月革命:Wikimedia Commons〉

結果

「ニコライ二世」は反乱を鎮圧する為に軍隊を出動させます。

しかし圧倒的な反乱軍の強さに退位を余儀なくされます。

〈ニコライ二世:Wikimedia Commons〉

臨時政府が成立し、この先の国の方針が話し合われました。

〈1917年 10月 十月革命〉

社会主義左派勢力の「ボリシェヴィキ」にが主導し革命が起こりました。

〈ボリシェヴィキ:Wikimedia Commons〉

内容は二月革命の続きです。

「ボリシェヴィキ」主導の「ソヴィエト(労働者・農民・兵士の評議会)」へ、権力が集中されました。

ソヴィエト政権を率いた人物こそ、「レーニン」です。

〈レーニン:Wikimedia Commons〉

ソヴィエト政権は世界初の社会主義政権であり、各国は警戒を強めました。

社会主義はみんなが平等という考え方なので、権力者達は損する事になります。

日本も例外ではありません。

天皇をトップに添えて、元老達が政治を牛耳っているので、社会主義が日本に普及するのは不都合です。

各国は社会主義政権の誕生を邪魔しにかかります。

〈1918年~1920年 シベリア出兵〉

資本主義国家による社会主義革命への介入です。

日本・イギリス・アメリカ・フランスが共同出兵し、ソヴィエト政権と戦います。

シベリアはロシアの70%位の地域を指します。

〈シベリア:Wikimedia Commons〉

日本は極東に位置する国なので、シベリア(東)側から参戦しました。

しかしソヴィエト政権の士気は高く、資本主義の国々を打ち破っていきます。

結局殆ど成果を上げられないまま、4ヵ国の撤収が決定しました。

今まで結んできた「日露協約」も、革命の影響で破棄される事になります。

〈1918年 3月 米騒動〉

中学生でも習う単語です。

2025年の前半も深刻な米不足で「令和の米騒動」と言われていました。

日本国民の主食である米に関する事件を確認していきましょう!

経緯

事の発端はロシア革命です。

ロシア革命に介入する為、シベリアに出兵するという噂が国内に広まりました。

戦争が始まると米が兵士に供給されるので、国内の米は当然不足します。

米が不足すると需要は変わらないので、米の価格が上昇しますよね。

この事態を見越して、富裕層が米を通常価格で沢山仕入れる事件が発生しました。

結果

米が一切手に入らない事態が発生し、富山県の漁民の主婦が蜂起しました。

米問屋や資産家に対し米の移出を停止し、販売するよう嘆願したのです。

政府の対応が遅いので、国民たちが自分達で行動を始めたのですね。

富山県での主婦が起こした一揆なので、「女一揆」と呼ばれています。

米騒動は一気に全国へ波及し、米価下落を求めた活動が起こりました。

神戸で起きた騒動では、米問屋の鈴木商店本社が焼き払われました。

〈焼かれた鈴木商店本社:Wikimedia Commons〉

米騒動の責任を取って、寺内正毅内閣は総辞職しました。

〈寺内正毅:Wikimedia Commons〉

〈1920年 3月 尼港事件〉

シベリア出兵後、日本は軍隊をそのまま駐留させていました。

理由はシベリアの領土や油田を狙っていたからです。

当然現地の人からは不満の声が上がりますよね。

実際に武力を用いて日本軍を追い出そうする人々を、共産主義の「赤軍」又は「抗日パルチザン」と言います。

〈赤軍(抗日パルチザン):Wikimedia Commons〉

「赤軍」が日本軍を攻撃し、「ニコラエフスク(尼港)」で戦闘になります。(樺太の左隣に位置しています)

〈ニコラエフスク(尼港):Wikimedia Commons〉

一時停戦となりましたが、「赤軍」が再び攻撃を仕掛け来ます。

「赤軍」により、日本軍が大量に殺害されました。

日本は報復として、北樺太を占領します。

戦いの舞台となった場所を「ニコラエフスク(尼港)」と呼んでいたので、「尼港事件」と呼んでいます。

〈廃墟となったニコラエフスク(尼港):Wikimedia Commons〉

〈1921年 9月 ワシントン会議〉

アメリカが主催した初の国際会議で、史上初の軍縮会議です。

当時の内閣は「高橋是清」です。

〈高橋是清:Wikimedia Commons〉

実際にワシントン会議に参加したのは、海軍大臣の「加藤友三郎」です。

〈加藤友三郎:Wikimedia Commons〉

第一次世界大戦を経験し世界は反戦ムードなので、各国から日本軍のシベリア撤兵が勧告されました。

〈1922年 シベリア撤兵 完了

総理大臣は「加藤友三郎」に交代しています。

実際にワシントン会議に参加した人物でもあるので、各国の要求を呑み、シベリアから軍を撤収させました。

〈1922年 12月30日 ソ連 成立

ソヴィエト政権が成立した後、ロシアは内戦に突入していました。

内戦が終結しソヴィエト政権が率いる、「ソヴィエト社会主義共和国連邦」が成立しました。

圧倒的な国土の面積を誇ります。

〈ソヴィエト社会主義共和国連邦:Wikimedia Commons〉

世界初の社会主義国家の誕生に、世界の労働者階級は希望を募らせました。

今でこそ社会主義は上手く機能しないと分かっていますが、当時は革新的な考えだったのです。

〈1925年 1月 日ソ基本条約

1924年頃になると、ソ連を国として認める機運が高まってきます。

イギリスやフランスもソ連と国交を樹立しました。

依然として日本とソ連は緊張状態が続いていましたが、ここでソ連が歩み寄りを見せます。

北樺太での石油採掘権を日本に与える代わりに、尼港事件で占領していた軍の撤退を要求していきました。

譲歩したのはソヴィエト政権は誕生して間もないので、国内の事で手一杯だからです。

日本もにとっても悪い話ではないので、ソ連と国交を樹立し軍を撤退させました。

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