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【きっかけは何?】日露戦争とポーツマス条約を徹底解説!

皆さんこんにちは、パルです!

今回は日露戦争について解説します!

三国干渉でロシアから屈辱を受けた日本が、多くの犠牲を払いながら勝ちをもぎ取った戦争です。

正真正銘欧米列強と同等と認められた、日露戦争の流れを確認しましょう!

↓日清戦争の解説もしています、こちらもご覧ください!!↓

欧米列強の清への進出

1800年の中盤くらいまで、清は「眠れる獅子」として欧米列強から恐れられていました。

清は圧倒的に領土が大きい国なので、いくらヨーロッパの強い国と言えど、戦力差があると思われていたのです。

しかし1894年の「日清戦争」により、清は日本というアジアの弱小国に敗北した事により、弱さが露見しました。

これに目を付けた欧米列強は清に戦争を仕掛け、「租借地」として領土を奪い取るようになっていました。

以下が列強による、清の領土分割表です。

地域種別期間備考
ロシア大連・旅順租借1898年〜1905年遼東半島の一部を租借。
イギリス九龍半島・威海衛九龍:割譲/威海衛:租借九龍半島:1860年割譲/威海衛:1898年〜1930年九龍半島は割譲、新界は99年租借。
威海衛は租借。
ドイツ膠州湾租借1898年〜1914年青島を中心に租借。
第一次世界大戦で日本に占領される。
フランス広州湾租借1898年〜1945年99年租借として獲得。
戦後、中華民国へ返還。

ここでアメリカの話をします。

アメリカは 1861年〜1865年に「南北戦争」という内戦が起こり、清への進出に出遅れました。

南北戦争は奴隷制度に賛成する南の州と、反対する北の州で争いました。

その為アジアの植民地は「フィリピン」を獲得する事で精一杯でした。

ヨーロッパの国々が清への進出をこれ以上加速させないように、アメリカの国務長官の「ジョン=ヘイ」が「門戸開放宣言」を行いました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

「門戸開放宣言」は、清における「門戸開放・機会均等・領土保全」を訴えました。

表向きは清の味方ですが、裏では植民地獲得を狙っていると思うと、腹黒いですね。

好き放題やってる列強に対し、ついに中国(清)国民の怒りが爆発します。

〈1899年 5月 義和団事件(北清事変)〉:1900年本格化

〈画像:Wikimedia Commons〉

中国の山東省で「扶清滅洋(清を助けて外国を滅ぼす)」をスローガンに、義和団が活動を始めました。

下の写真は義和団のメンバーです。

〈画像:Wikimedia Commons〉

外国人やキリスト教徒を襲撃し、暴動が段々と大きくなっていきます。

1900年、北京で外国公使館が包囲されるなど大規模事件に発展。

列国が出兵し、日清戦争以来の大規模な国際軍事介入が行われました。(8カ国共同出兵)

〈画像:Wikimedia Commons〉

連合軍の兵士が並んでいます。

左から、イギリス、アメリカ、ロシア、イギリス領インド、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリア、日本です。

〈1901年  北京議定書 締結〉

この時の日本の総理大臣は「第一次桂太郎内閣」です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

出兵した8か国と清の間に「北京議定書」が締結され、清は巨額の賠償金を支払う事を約束させられました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

北京議定書が結ばれると各国は自分の国に軍隊を引き揚げましたが、ロシアは中国の右上の地域である「満州」に留まり事実上占領しました。(赤色が付いている箇所)

〈画像:Wikimedia Commons〉

このロシアの行動は欧米から強い非難を受け、翌年撤兵しましたが、日本は満州をロシアに奪われる事に危機感を覚えました。

下の写真はロシア(タコ)が世界各地に侵攻している(足をのばす)姿を風刺したものです。

注目して欲しいのは、タコの一番右の足が満州に伸びている部分です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

しかしロシアは超強国なので、日本も慎重になります。

国内ではロシアと協力する「日露協商論」と、世界の覇権国であるイギリスと協力する「日英同盟論」で意見が割れました。

「日露協商論」の支持者は「伊藤博文・井上馨・尾崎行雄」で、満州はロシア、日本は韓国を占領するという「満韓交換」の考えを持っています。

一方、「日英同盟論」の支持者は「桂太郎・小村寿太郎・山形有朋」で、三国干渉の屈辱を絶対に晴らすと考えていました。

この意見を決定したのは国民の世論でした。

国民は「桂太郎・小村寿太郎・山形有朋」の考えに賛同し、「日英同盟論」が選択されました。

日本はイギリスに接近します。

〈1902年 1月 第一次日英同盟協約 締結〉

イギリスに接近した日本は、第一次日英同盟協約を締結しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

第一次日英同盟協約の内容は「イギリスの清における権益、日本の清国と韓国における権益を相互に承認し、第三国と戦争となった場合、他の一方は中立を守る」です。

難しい事が書いてありますが、要約すると、「誰かと戦争になった時に、中立の立場でいてね」です。

イギリスはあくまで、日本に協力するのではなく中立です。

日本はロシアと、1対1で正々堂々勝負する事に決めたのです。

日露戦争の幕開け

〈1904年 2月 日韓議定書 締結〉

今回陸での戦いの重要な場所は、三国干渉でロシアに取られた「遼東半島(旅順・大連)」です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

陸での戦いを優勢にする為には、兵士への物資の供給が不可欠です。

そこで日本は韓国と「日韓議定書」を締結し、軍事上必要な拠点を使う許可をさせ、日露戦争に向けて日本軍を自由に通行できるようにさせました。

〈1904年 7月 日露戦争 開戦〉

〈画像:Wikimedia Commons〉

日露戦争の主な戦いは、以下の通りです。

①旅順陥落 1905/01/01 (旅順攻略までに1年間)

②奉天会戦 1905/03/01 (陸での戦いなので、海戦ではない」

③日本海海戦 1905/05/27(下の写真)

〈画像:Wikimedia Commons〉

日本海海戦は世界最強と言われたロシアの「バルチック艦隊」と、日本海軍が対馬付近で戦いました。

日本海軍の大将は「東郷平八郎」です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

日本海海戦は東郷平八郎の好判断で、大勝利を収めました。

日露戦争の結果として、日本はトータルで約8万人の死傷者を出しながら、何とかロシアに勝利しました。(日清戦争の死傷者は約1万人)

戦争の費用は「国内の増税」と「国内の発行」で、なんとか誤魔化していました。

その為、講和条約でどれだけ日本に有利な内容になるか、国民の注目が集まりました。

〈1905年 9月 ポーツマス条約 締結〉

〈画像:Wikimedia Commons〉

ロシアも日本も戦争で、国民の生活はギリギリでした。

日本も戦争の継続は厳しかったので、アメリカの「セオドア=ローズベルト」に仲介を頼み、アメリカの「ポーツマス」で講和条約を結びました。

〈セオドア=ローズベルト:Wikimedia Commons〉

今回一番大事な内容です。

日本の代表は外相の「小村寿太郎」、ロシア側の代表は「ウィッテ」です。

〈小村寿太郎:Wikimedia Commons〉

〈ウィッテ:Wikimedia Commons〉

ポーツマス条約の内容は、以下の通りです。

①韓国に対する日本の指導権を認めさせる

②旅順・大連の租借権を日本に譲渡

③長春以南の鉄道とその付属利権を日本に譲渡

④北緯50度以南の南樺太を日本に譲渡

⑤沿海州とカムチャッカの漁業権を日本に認める

①韓国に対する日本の指導権を認めさせる

もはや恒例になっていますが、「観コックの植民地化に口出ししないでね」という約束です。

今まで清やイギリス、アメリカと約束をし、最後はロシアです。

因みにアメリカとは1905年の7月に「桂・タフト協定」を結び、韓国とフィリピンの支配を互いに認め合いました。

1907年には「ハーグ密使事件」が発生しますが、日本が散々根回しした甲斐があり、欧米列強から韓国の植民地化に対して、非難されることはありませんでした。

詳しいことは韓国の植民地化の歴史の回で解説します!

②旅順・大連の租借権を日本に譲渡

〈画像:Wikimedia Commons〉

三国干渉の屈辱を果たし、バッチリ取り返しました。

これから先、日本はどんどん中国大陸に進出していきますが、旅順・大連は重要な軍事拠点として機能します。

1906年、南満州鉄道株式会社を設置し、人や物資をの行き来を活性化させ、中国支配の象徴となりました。

③長春以南の鉄道とその付属利権を日本に譲渡

〈画像:Wikimedia Commons〉

オレンジ色は山東省で、赤色が長春市です。

1905年にアメリカの「ハリマン」が、鉄道の共同経営を提案してきました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

日本政府は当然この提案を拒否します。

アメリカに乗っ取られるのは目に見えているからです。

拒否した事により、日本とアメリカの関係は悪化しました。

1906年には関東都督府を設置し、支配を本格化しました。

④北緯50度以南の南樺太を日本に譲渡

〈画像:Wikimedia Commons〉

横の引いてある黒い線が、北緯50度を表しています。

下の白い三角は北海道の先端です。

1875年に「樺太・千島交換条約」で樺太をロシアに渡していましたが、このポーツマス条約で樺太の南半分を獲得しました。

⑤沿海州とカムチャッカの漁業権を日本に認める

〈画像:Wikimedia Commons〉

こちらもロシアの領土です。

領土の獲得こそ出来ませんでしたが、漁業権を獲得したので、食料の安定した供給に貢献しました。

〈1905年  日比谷焼き討ち事件〉

〈画像:Wikimedia Commons〉

日本国民は日露戦争中、増税や倹約に努めながら、戦争に協力していました。

また犠牲者数も日清戦争とは比べ物にならず、未亡人になってしまった女性の方も溢れかえりました。

しかし講和条約も内容に「賠償金」が含まれておらず、国民の生活が回復する事はありませんでした。

ポーツマス条約の内容を不服とした国民が、日比谷で暴動を起こしました。

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