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【きっかけは何?】日清戦争と下関条約を徹底解説!

皆さんこんにちは、パルです!

今回は日清戦争について解説します!

未熟だった日本が世界に認められるキッカケになった戦争です。

しかしその経緯を知らない方多いんじゃないでしょうか?

日清戦争の前後の流れをしっかり抑えましょう!

朝鮮の状況

〈1875年 江華島事件〉

1875年、日本は「江華島事件」を起こしました。

江華島事件(下の写真)は、日本の軍艦「雲揚号(うんようごう)」が朝鮮の領土である江華島付近を勝手に測量し、攻撃された報復として江華島の隣の島である「永宗島」を占領した事件です。

江華島は韓国のかなり左上にあります。

日本は欧米列強と肩を並べる為に、植民地を獲得したいと考えていました。

そこで目を付けたのが朝鮮という訳です。

〈1876年 2月 日朝修好条規 締結〉:日本に有利な不平等条約

1876年、黒田清隆が「江華府」という場所に派遣され、日朝修好条規が結ばれました。

下の写真は日朝修好条規の締結式。

〈画像:Wikimedia Commons〉

当時朝鮮は江戸時代のような鎖国の方針を取っていましたが、日朝修好条規により開国させられました。

※ここで超重要事項があります。

日朝修好条規は日本に有利な不平等条約なのです。

日朝修好条規で覚えてほしい内容は、以下の通りです。

条項内容特徴・影響
第1条清国の朝鮮に対する「宗主権」を否定清と朝鮮のの宗属関係を否定し、朝鮮の独立を強調
第3条日本に「領事裁判権」を認めさせた日本人の犯した罪は日本で裁く
第4条釜山(プサン)・元山(げんざん)・仁川(じんせん)の3つ港を開港(朝鮮は関税自主権も喪失)日本に有利な開港で通商開始、不平等条約化

全部大事なので1つずつ確認していきましょう。

清国の朝鮮に対する「宗主権」を否定

パッとしない内容ですよね。

この内容の意図は、「朝鮮を植民地化したいから、清は首突っ込まないでね」です。

宗主権は「ある国の内政・外交を管理し決定する権力」を指します。

中国(清)は古来から朝鮮と従属関係を結んでおり、朝鮮に何かあると中国が助ける代わりに、中国のいう事聞くという関係性があります。

この関係を「冊封(さくほう)体制」と言います。

中国(清)に口出しして欲しくないので、第1条で認めさせました。

日本に「領事裁判権」を認めさせた

これは聞き馴染みのある言葉かもしれません。

江戸時代末期に日本が欧米列強と結んだ「日米修好通商条約」が不平等条約として有名ですよね。

↓「日米修好通商条約」について解説しています、こちらもご覧ください!!↓

領事裁判権は今回で言うと、「朝鮮で日本人が犯罪を犯した時に、朝鮮の法律で裁かれず日本の法律で裁かれる」という権利です。

日本に直接的に利益があるかと言われると微妙ですが、この先植民地にして日本人が移住した後の事を考えていたのかもしれませんね。

釜山(プサン)・元山(げんざん)・仁川(じんせん)の3つ港を開港(朝鮮は関税自主権も喪失)

以下の画像が非常に分かりやすいので見て下さい。

〈画像:Wikimedia Commons〉

黒田清隆が日朝修好条規を結んだ「江華府」と、今回開港した3つの港の場所が分かります。

日朝修好条規の本体ではなく、付属文書に「朝鮮の関税自主権の喪失」も定められていました。

関税自主権は非常に強力な権利で、冗談無しに国を崩壊させる程の力を持った権利です。

この先朝鮮は国内が衰退していき、植民地化へと進むことになります。

〈1882年  防穀令〉:朝鮮で出された

「防穀令」は、日本に「米・大豆」の輸出を禁止した法律です。

朝鮮は農業国で、お米は主食&主要な輸出品でした。

そんな中、日本で東北の凶作が発生し多くのお米が日本に輸出され、朝鮮国内が米不足に陥りました。

朝鮮は自国の国民を食糧不足から救う為、防穀令を出し日本に「米・大豆」の輸出を禁止しました。

日本商人が強く反発し、日朝関係が悪化一気に悪化しました。

日本は翌年防穀令を解除させ、賠償金を要求しました。

〈1882年 壬午事変〉:日朝貿易への不満

〈画像:Wikimedia Commons〉

朝鮮国内では「親日派」vs「反日派」で争っていました。

「親日派」は日本の明治維新の様に近代化して、朝鮮を強くしようと考える改革派の「閔妃(びんひ)」の政権です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

対する「反日派」は、今まで通り中国(清)に守ってもらおうと考える保守派の「大院君(たいいんくん)」の政権です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

大院君が武装蜂起をし、日本の公使館を襲撃しました。

この事件を壬午事変と言います。(壬午は当時の干支です)

下の写真は公使館襲撃の様子。

〈画像:Wikimedia Commons〉

この武装蜂起に対し、清国は即時に出兵し反乱を鎮圧しました。

この反乱を受け、日本と朝鮮の間で「済物浦条約(さいもっぽじょうやく)」が結ばれました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

ここで大事な事は、「有事の際(今回の反乱など)に清国の方が頼りになるという印象が国民や閔妃に付いた」です。

反乱こそ失敗しましたが、閔妃も清寄りの立場を取るようになりました。

これ以降、清との結びつきが強まり、「事大党」という清寄りの組織が結成されました。

〈1884年 甲申事変〉:閔妃政権(親清)の政治に不満

復習ですが、最初親日だった閔妃政権は、「壬午事変」により清よりの政権に変更されています。

しかし1884年の「清仏戦争」を契機に、親日派の組織である「独立党」がクーデタ―を起こしたのが、今回の甲申事変です。

「清仏戦争」で清はフランスにボコボコにやられたので、このまま清と一緒にいると朝鮮も侵略されてしまうと危機感を募らせたのです。

「金玉均(きんぎょくきん)」と「朴泳孝(ぼく えいこう)」が率いる「独立党」vs「閔妃」が率いる「事大党」の争いです。

〈金玉均:Wikimedia Commons〉

〈朴泳孝:Wikimedia Commons〉

結果は親日の「独立党」のクーデターが失敗し、日本に亡命する結果になりました。

このクーデターの際、朝鮮に住む日本人が被害に遭い、日本は問題視しました。

朝鮮に賠償金を請求し、1885年に「漢城条約」が結ばれました。

この朝鮮のゴタゴタを見て、福沢諭吉は「脱亜論」を発表しました。

〈朴泳孝:Wikimedia Commons〉

脱亜論内容は「日本はアジアで連携して欧米に対抗するのではなく、アジアを日本の領土にして欧米列強と対抗せよ」です。

福沢諭吉は「慶応大学」を作った人なので、学問ばかりに目が行きがちですが、実は非常に好戦的な考えを持つ人物なのです。

〈1885年 天津条約〉

日本と清が「天津」という場所で条約を結びました。(地図の赤い場所)

〈画像:Wikimedia Commons〉

日本の代表は「伊藤博文」、清の代表は「李鴻章(りこうしょう)」(下の写真)です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

天津条約の内容は、以下の2つです。

①日清両軍の朝鮮からの撤兵

②将来朝鮮に出兵する事がある場合は、お互い事前に通告する(抜け駆けは禁止)

日本は朝鮮を植民地にしたいですが、なるべく清とは争いたくありません。

揉め事が起こらない様に、あらかじめ手を打ったという訳です。

〈1885年 11月 大阪事件〉

大阪事件は自由民権運動で解説していますが、甲申事変が原因で起きた事件なので復習です。

自由党の「大井憲太郎」と、女性民権運動家の「影山英子」が朝鮮に渡り、独立党政権の再建を企てるという、とんでもない事件です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

因みに「影山英子」は「わらわの半生涯」という本を出しています。

〈画像:Wikimedia Commons〉

事件の結果としては、速攻でバレて逮捕されました。

日本国内で自由民権は無理だと考えた2人が朝鮮で自由民権運動を展開し、それを日本に持ち帰り圧力をかける事により、自由民権を達成しようとする凄まじい計画です。

日清戦争の幕開け

〈1894年  甲午農民戦争(東学党の乱)〉

「東学」というのは、西洋の考えを否定する学問です。

この当時朝鮮の国内はボロボロなのに閔妃政権は汚職が蔓延していて、農民達の生活は一向に楽になりません。

農民達が東学党という西洋反対組織と手を組み、閔妃政権に反乱を起こしました。

「甲午農民戦争」の勃発です。

農民達の怒りのボルテージは最大で、反乱軍がメチャクチャ強く、閔妃政権は清に応援を要請します。

「天津条約」に基づき清から日本に出兵の通告が来ました。

日本も「朝鮮に住む日本人の保護」を名目として、朝鮮に出兵しました。

乱自体は鎮圧しましたが、日清両軍とも撤退しませんでした。

ここで日本は清に「一緒に朝鮮を改革しませんか?」と提案します。

清からしてみれば朝鮮は今までずっと属国として扱ってきたので、日本に首を突っ込まれたくないと当然考え、清は日本の提案を拒否します。

日本は朝鮮王宮を襲撃・占拠して、捕えた高宗に日本に協力的姿勢を示していた大院君を「新政府首班とする事」を強引に認めさせました。

さらに大院君から清国兵追放を要請する文書を得て、これを口実に清に宣戦布告しました。

〈1894年 7月 日清戦争 開戦〉

〈画像:Wikimedia Commons〉

日清戦争の主な戦いは、以下の通りです。

①豊島沖海戦 1894/07/25 (日清戦争開戦)

②黄海海戦 1894/09/17

③大連・旅順の占領完了 1894/11/21(下の写真)

④威海衛占領完了 1895/02/02

戦争と言うと陸の戦いをイメージするかもしれませんが、日本は島国なのでまずは海での戦いがメインとなります。

〈画像:Wikimedia Commons〉

〈1895年 7月 下関条約 締結〉

〈画像:Wikimedia Commons〉

今回一番大事な内容です。

日本の代表は首相の「伊藤博文」と外相の「陸奥宗光」(下の写真)、清側の代表は「李鴻章」です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

ここで注意なのは、「第二次伊藤博文内閣」だという事。

条約が出てきた時は、どの首相が結んだのか逐一確認しましょう。

下関条約の内容は、以下の通りです。

①朝鮮の独立を清に認めさせる(朝鮮は清の属国ではない)

②遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に割譲

③賠償金2億両(3億1000万円)

④蘇州・杭州・重慶・沙市の開港

①朝鮮の独立を清に認めさせる(朝鮮は清の属国ではない)

日本が朝鮮に何をしても口出しさせないようにしました。

朝鮮に清にはもう頼れないと脅すことが可能になりました。

1897年に、高宗が皇帝に即位し、国号を 「大韓帝国」 に改めました。

「独立国であること」、「清との冊封体制から完全に離脱したこと」をアピールする為です。

②遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に割譲

下の写真が遼東半島です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

下の写真が台湾と澎湖諸島です。

〈画像:Wikimedia Commons〉

遼東半島の場所は非常に大事なので、ここで絶対に抑えましょう!!

③賠償金2億両(3億1000万円)

当時の国家予算の約4年分という、とんでもない額の賠償金を手に入れました。

この賠償金の元手に、1897年に「貨幣法」を制定し「金本位制」に移行、同じく1897年に「八幡製鉄所」の設立に繋がりました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

〈1895年 4月 三国干渉〉

清の右上の地域である「満州」進出を目論むロシアが、ドイツとフランスを誘い、遼東半島の返還を要求してきました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

遼東半島を抑えられると、日本がそのまま北上して勢力を伸ばすのは目に見えています。

ロシアは日本の邪魔をしてきたという事です。

日本に三国を相手する力は無いので、この要求を受け入れざるえませんでした。

1895年11月8日、三国干渉の結果、日本は遼東還付条約に調印しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

遼東半島を返還する代わりに、代償金として3,000万両(4,665万円)を受け取りました。

しかもただ清に「旅順・大連」を返還するだけでなく、ロシアはそのまま「旅順・大連」を実効支配しました。

この事実はロシアに対する強い怒りに変わりました。

このロシアに対する復習の心を「臥薪嘗胆」と言います。

〈1895年 5月 台湾総督府 設置〉

下関条約で台湾を手に入れた日本は、台湾支配の拠点として「台湾総督府(下の写真)」を設置しました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

初代総督には「樺山資紀(かばやますけのり)」という人物が選ばれました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

〈1895年  閔妃殺害事件〉

「大院君」と駐韓公使の「三浦梧楼(みうらごろう)」(下の写真)によって、長らく権力を握っていた「閔妃」が殺害されました。

〈画像:Wikimedia Commons〉

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